「敵の一弾は左眼を貫き、手榴弾(しゅりゅうだん)は脚下に炸裂(さくれつ)す。その破片を腹部に受け、最後を遂げられました」。丹波篠山市味間奧の西垣佳世子さん(74)は、父の弟が1944年12月にビルマ(現在のミャンマー)で戦死した際の様子を伝える手紙を大切に保管している。「戦場に向かった人々がどれだけ悲惨で気の毒な目に遭ったのか後世の人々に伝えたい」と願って。(井原尚基)
「敵の一弾は左眼を貫き、手榴弾(しゅりゅうだん)は脚下に炸裂(さくれつ)す。その破片を腹部に受け、最後を遂げられました」。丹波篠山市味間奧の西垣佳世子さん(74)は、父の弟が1944年12月にビルマ(現在のミャンマー)で戦死した際の様子を伝える手紙を大切に保管している。「戦場に向かった人々がどれだけ悲惨で気の毒な目に遭ったのか後世の人々に伝えたい」と願って。(井原尚基)