ジョセフ・ヒコの「海外新聞」について話す山口豊さん=播磨町中央公民館
ジョセフ・ヒコの「海外新聞」について話す山口豊さん=播磨町中央公民館

 播磨町出身で、日本で初めて民間の新聞を発行し「新聞の父」として知られるジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵、1837~97年)についての講演会が1日、同町東本荘1の中央公民館であった。元武庫川女子大教育学部教授の山口豊さん(66)=同町大中=が、ヒコの生涯や新聞のルーツを紹介した。(児玉芙友)

 郷土の歴史や文化に親しみを持ってもらおうと、同町郷土資料館が企画、同公民館と共催する全3回の講座。初回の今回、山口さんが同資料館所蔵の「海外新聞」第6号をテーマに話し、約30人が聞き入った。

 ヒコは浜田村(現在の同町本荘)の漁師の家で育ち、13歳の初航海で難破。米国船に救助され、そのまま米に滞在。米で市民権を得た後、領事館通訳として帰国した。江戸末期に海外事情を伝えたいと、いくつかの英字新聞から必要な記事を抜粋し、日本語に翻訳。木版刷りで「新聞誌」を創刊、後に「海外新聞」と改題した。