ロシアのピアノの巨匠アレクセイ・リュビモフの新譜は、ウクライナの作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフのピアノ作品集「…レーテーに花咲く…」だ。2人は50年来の盟友で、ロシアのウクライナ侵攻後も、その関係は変わらない。新譜からは、戦争とは対極にある、ささやかで親密な響きが聴こえる。
リュビモフは言う。
「争いが起きているからといって闘争的な音楽を展開する必要はないし、むしろ各地で戦争が起きている今この時代を表現する時、過去の平和な時間へとさかのぼるような、非常に穏やかな音楽が(時代を)体現するような気がするのです」
1944年、モスクワ生まれのリュビモフは「反骨の巨匠」とも呼ばれる。旧ソ連時代、西側の現代音楽を積極的に演奏し、ソ連当局に出国を禁じられるなど活動を制限されたが、その間も古楽の演奏に取り組み、ソ連国内の聴衆にいちはやく紹介した。1990年代にパリに拠点を移したが、母校モスクワ音楽院で後進を育てるなどロシアとのつながりは切れることはなかった。1937年、キーウ生まれのシルヴェストロフとは世代も近く、彼の音楽の良き理解者として、人生を通して演奏してきた。
ロシアによるウクライナ侵攻後、その姿勢はより鮮明になっている。侵攻間もない2022年春、モスクワで反戦を意図してシルヴェストロフやシューベルトを弾くコンサートを開いたリュビモフは、演奏をやめさせようとする警官に囲まれながらピアノを弾き続け、その映像はインターネットを通して世界中に広まった。
当時、何が起きたのかを尋ねると「警察は『会場に爆破予告があったから、会場から出なさい』と。爆破予告は、当局の意に沿わない催しをやめさせるためのソ連時代からの常とう句で、驚きも怖くもありませんでした」とリュビモフ。映像を見たシルヴェストロフからは「ロシアで(自分の楽曲を)どんどん演奏してほしい」と連絡があったという。
その言葉にも背中を押され、ロシアをはじめ、欧州や日本でシルヴェストロフの演奏を重ねてきた。シルヴェストロフを弾くことは「私がウクライナ側に立っていると示すこと」であり「彼の音楽の恒久的な静けさを多くの人たちと分かち合いたい」との思いからだ。
「シルヴェストロフはものすごく(侵略に)怒っている。でも、彼の音楽は非常に穏やかで静かで、平和を連想させるのです。聴く人の内なる静寂に問いかけ、緊張を解き、心が解放される。戦争を直接的に表現したショスタコービッチのような音楽とは違う角度から人々にアプローチできると思っています」
現在のロシアでウクライナの作品の演奏が容易でないことは想像に難くない。「だからこそ意味があると思っている」とリュビモフ。「私の抵抗は大海の一滴に過ぎない。それでも、ロシアに暮らす普通のロシアの人々に働きかけることをやめてしまうのはどうかと思う。音楽はメッセージを心に直接問いかけられる力があるのだから」
意志を貫く気概の根底にはソ連時代の経験がある。「自分の音楽への窒息感、制約を打ち破りたいとずっと考えていた。西側のものに触れることも大変な時代でしたが、一歩一歩踏み出し、進み続けてきました。自分が何を欲しているか、どこに向かいたいか耳を傾ければおのずから答えは導ける。そのことは、この困難な時代にあっても確信を持って言えることです」
リュビモフは今年、東京や広島でリサイタルを開いた。「戦後80年を意識して選曲した」というプログラムは、ドビュッシーやモーツァルトの他、シルヴェストロフやロシアのウストヴォルスカヤ、ヴォルコンスキー、旧ソ連に統治された歴史を持つエストニアのペルトの作品が並んだ。一心な演奏に東京公演ではスタンディングオベーションも起きた。終演後、会場外で列をつくった人たちへのサイン会にも応じる、誠実な人柄が印象的だった。
「私は作曲家の意図を超える演奏はしません。音楽が何を伝えているか、聴く人が考えることです」と語っていたリュビモフ。
アルバム「…レーテーに花咲く…」の収録曲の多くは、古今の作曲家へのオマージュ。静かな白昼夢のような美しさをたたえている。(取材・文 共同通信=須賀綾子)
























