戦乱が世界中に影を落としている。ロシアのウクライナ侵攻は長期化し、パレスチナ自治区ガザではイスラム組織ハマスに対するイスラエルの攻撃が過激化するばかりだ。

 2度の世界大戦が甚大な惨禍をもたらした20世紀は「戦争の世紀」と呼ばれた。その教訓を基に築かれたはずの「平和と安定」が、21世紀になって揺らいでいる。

 根底にあるのは人間を分け隔てる対立と分断だ。「敵」と「味方」に二分する短絡的な思考が私たちにも影響を及ぼしている恐れがある。

 他者を排除していないか。それも事情を理解しないままに。

 日本では、侵攻のあおりでロシア語を学ぶ大学生たちが非難の逆風にさらされた。社会の危うい体質を映しているようにも見える。

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 「何をしてくれるんだ…」

 神戸市外国語大ロシア学科3年の両川唯人(りょうかわゆいと)さん(21)は、ロシアの軍事作戦で受けたショックをそう表現した。2022年2月の侵攻時は1年の終わりの時期だった。

 もとより戦争には絶対反対だ。国際社会や国内の批判が高まる中、プーチン政権の暴挙に憤りを覚えた。

 だが、ロシアについて学ぶ自分たちに矛先が向くとは考えなかった。

 「売国奴め!」

 侵攻から1カ月もたたない頃、SNS(交流サイト)の匿名のメッセージにそれだけが書かれていた。露骨に悪意を突き付けられたのはこの一度だけだが、心に深く刺さった。世間が自分を冷たい目で見ていると思い、否定されているとも感じた。

 ロシア学科の金子百合子教授によると、「敵の言葉を学んでいるのか」「ロシアを支持するのか」などと非難され「自分は悪いことをしているのか」と悩んだ学生は少なくなかった。「ロシアと関わる職業には就かないで」という身内の言葉に疎外感を深めた学生もいる。

日本の対ロシア感情

 もとよりロシアに対する日本社会の感情は良好とは言えない。内閣府が22年10月に実施した「外交に関する世論調査」では「親しみを感じる」は5%で、「感じない」が95%。以前からずっと同じ傾向が続くが、侵攻を受けてさらに悪化した。

 シベリア抑留や旧満州での被害、北方領土問題も影響しているが、一方でロシアのバレエやクラシック音楽にあこがれる人やロシア文学の愛読者は多い。嫌悪と親しみ。相反する二つの感情のバランスが、侵攻を機に一気に悪い側へと傾いた。

 他の国や民族を丸ごと敵視する考えが根深い憎悪を生むことはパレスチナの現状が示している。英語学習を抑圧した戦前の「敵性語禁止」のように、非難は内にも向けられる。大学生への心ない言動は、極端な集団心理の典型と言えるだろう。

次の「波」に耐える力

 ウクライナ語とロシア語は同じスラブ語に属する。日本への避難者にはロシア語が母語の人もいる。

 ロシア学科4年の釜谷泰葉さん(23)は、姫路市内で避難者と周囲をつなぐ通訳活動を続けてきた。NPOが開設したカフェで民族料理ボルシチをつくる女性2人を支援する。「何か自分にできることを」と始めた活動で、言葉を介して人と触れ合い「多くを学んだ」と話す。

 SNSで心ない言葉を浴びせられた両川さんも、ウクライナ伝統のモタンカ人形作りの場で通訳を務めた。一時は学ぶ意味を見失いかけたが、今は切り替え、ロシア語に加えて東欧のブルガリア語を研究する。

 金子教授はこうみる。「一歩踏み出すまでが大変だが、学生たちは打ちのめされず頑張った。それが若さなのでしょう。彼らが何かをつかんだのなら、厳しい経験も無駄ではなかった」。さらに「いずれ次の波が来たときの力になるはず」とも。

 人と人を結ぶ言葉の力を信じ、異なる相手との対話をあきらめない-。ロシア学科の教員が侵攻直後に連名で発したメッセージを、改めて私たちも胸に刻みたい。どんな事態でも「知ること」「学ぶこと」を否定する社会であってはならない。