中国・北京市で昨年3月、アステラス製薬の50代の日本人男性社員が拘束された事件で、中国検察当局は男性をスパイ罪で起訴した。日本政府は早期解放を求めているが、拘束のさらなる長期化が危惧される。
男性は同社の中国法人幹部で滞在歴20年を超え、医療業界を中心に幅広い人脈を持つ。駐在任期を終えて帰国する直前に拘束された。日本大使館は男性の健康状態に問題のないことを確認しているが、面会での会話内容は著しく制限されている。
看過できないのは、拘束から約1年半もたつのに、具体的にどんな行為がスパイ罪に抵触したかを説明していないことだ。中国外務省は「違法犯罪行為を法に基づき処罰する」と強調するが、司法の透明性が担保されない状況は法治国家と言い難く、断じて容認できない。直ちに事実関係を明らかにしてもらいたい。
習近平指導部は近年、「国家安全」を最重要視し、外国企業や外国人への監視体制を強化している。2014年に反スパイ法を施行し、翌年以降にこの男性を含む少なくとも17人の日本人が拘束され、現時点でも5人が帰国できていない。
男性が拘束された当時、東京電力福島第1原発の処理水海洋放出を巡り日中関係は悪化の一途をたどっていた。このような状況下で根拠の不明確な身柄拘束が続けば「人質外交」との不信につながり、両国の亀裂が深まりかねない。
中国は昨年7月、スパイ摘発強化へ改正反スパイ法を施行したが、何が「国家の安全や利益」に当たるのかが曖昧で恣意(しい)的運用のリスクが高まる。今年5月には改正国家秘密保護法も加わり、情報漏えいを取り締まる体制を一層強める恐れがある。
不透明な司法手続きは、日本など海外からの対中投資に大きな影を落とす。中国当局によると、23年の外資による中国への直接投資は前年比で8割を超す大幅減となった。北京駐在の日本企業関係者は「中国への社員派遣を控える動きが企業に広がっている」と指摘する。
中国外交筋は「男性の事件は特殊な例だ」とし、対外交流の萎縮を懸念する。国家安全省は、改正反スパイ法が外資の投資意欲を減退させているとの批判を打ち消そうと躍起だが、一方的な主張ではなく、取り締まりの状況や根拠について詳細を開示しなければならない。
対日関係の悪化に歯止めをかけたい習国家主席は昨年11月、岸田文雄首相と会談し、「戦略的互恵関係」の重要性を確認した。過剰なスパイ対策を進める強権的な姿勢は、国際社会の「中国離れ」を加速させ経済発展の道を閉ざすなど自国の利益を損ねていることに気づくべきだ。