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 パリ・パラリンピックが、12日間の熱戦を終えて閉幕した。新型コロナウイルスの影響で原則無観客だった前回東京大会とは異なり、会場に集まった大勢の観客と選手が一体となって、障害者スポーツの祭典を盛り上げた。各競技では選手たちが自らの限界に挑戦し、共生社会の実現に向けて、多様性の尊重というメッセージを世界に発信した。

 今大会には史上最多となる168(難民選手団を含む)の国・地域が参加し、22競技、549種目が行われた。男子アーチェリーでは、生まれたときから両腕がなく、足で矢を射る米国のマット・スタッツマン選手が自身初の金メダルを獲得し、観客に感動をもたらした。激しい接触がある車いすラグビー、鈴の入ったボールを投げて得点を狙うゴールボールなど、多彩なパラ競技の魅力が改めて伝わる機会にもなった。

 残された身体機能を生かし、競技で最大限のパフォーマンスを発揮する。今年5月に神戸で開かれた世界パラ陸上競技選手権大会と同様、選手たちは一人一人の人間が持つ可能性の大きさを十分に示した。

 パリ大会で、日本は金14個、銀10個、銅17個のメダルに輝いた。金は東京大会の13個を上回った。車いすテニス女子の上地結衣選手(明石市出身)は4度目の出場で、シングルス、ダブルスの頂点を極めた。日本勢初の単複2冠はまさに快挙だ。男子シングルスの18歳、小田凱人(ときと)選手も激戦を制し、初出場で優勝した。

 競泳男子(視覚障害)の木村敬一選手も見事な2冠を果たしたほか、車いすラグビー、ゴールボール男子が金メダルを獲得するなど、団体球技の躍進も目立った。全力を尽くした全ての選手をたたえたい。

 大会に暗い影を落としたのは、各地で続く戦争だ。22個の金メダルを手にしたウクライナの選手約140人の中には、ロシアとの戦闘で脚などを失った元兵士も含まれる。今回唯一のパレスチナ代表となった選手も、かつてイスラエル軍の銃弾を受けて下半身まひとなった。

 国連総会が採択した五輪・パラリンピックでの休戦決議は守られず、ウクライナやガザなどで戦闘がやまない。平和を訴える選手らの声に国際社会が耳を傾け、一刻も早い停戦を実現しなければならない。

 閉会式で大会組織委員会のエスタンゲ会長は「あなたたちは人々の障害に対する見方を変えた。『パラリンピック革命』を起こした」と述べた。障害は個人の問題ではなく、受け入れる社会の側に問題があるとする「障害の社会モデル」という考え方が重要だ。パリ大会への注目を、各国の社会でバリアーをなくしていくきっかけにする必要がある。