1995年の阪神・淡路大震災に起因し、神戸地裁管内で当時裁かれた民事訴訟について、永久保存された事件記録が1件もないことが明らかになった。別扱いの判決原本を除き、ほぼ全て廃棄されたとみられる。6434人の犠牲者を出した災害の実相が、法律家によって整理された貴重な資料であり、取り返しがつかない失態だ。
裁判所の内規は、民事訴訟記録の保存期間を原則5年とする一方、史料的価値が高い記録は永久保存するよう定める。しかし同地裁で現在永久保存されている11事件に震災関連はなく、神戸新聞が照会した特定の10事件は廃棄されていた。
廃棄された記録には、火災保険金を巡る判断が争われたものや、マンション建て替えでの意見対立が法廷に持ち込まれたもの、阪神高速の倒壊で犠牲になった男性の遺族が起こした国家賠償請求訴訟などがあった。
未曽有の災害に直面した被災者の悲鳴や憤りの声が、弁護士などが収集した証拠で補強され、論点が集約されて判決や和解につながっていった。「結論」だけでは十分でなく、「過程」となる根拠の連なりがあってこそ、後の災害への教訓となりえたはずだ。裁判所には、猛省を促したい。
裁判記録については2022年に神戸連続児童殺傷事件の記録廃棄が明らかになったのを契機に、保存の在り方が見直された。最高裁は今年1月、制度を改め、第三者委員会を常設し大震災や疫病など「一定の重大な社会事象」が生じた場合に永久保存を提言できるようにした。
ところがその第三者委は、今年3月の初会合以来、開かれていない。元日の能登半島地震でもさまざまな訴訟が想定され、関連記録の保存は急務であることを提言するべきではないか。
現在、全国の裁判所では記録廃棄が一時停止されているが、兵庫県を見る限り、外部からの永久保存の要望は低調だ。災害関連の民事訴訟には私的権利が関わるものも多く、永久保存の公的資料にされることに抵抗感を抱く訴訟当事者がいるかもしれない。しかし、日本は災害列島だ。後世につなげる「国民共有の財産」として、記録保存の機運を高める必要がある。