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 まだ若い、という残念さと、やはり、との思いが入り交じる。芦屋市出身の元大関貴景勝が現役を引退した。28歳、2014年秋場所の初土俵から10年で力士人生を終える。

 19年に22歳で大関に昇進し、白星を積み重ね大関在位30場所、4度の優勝に輝いた。100年以上出ていない兵庫出身の横綱が近づき、地元からの期待も高まった。その年の神戸新聞スポーツ賞を受賞した。

 だが近年はけがに苦しみ休みがちで、2度目の大関陥落を余儀なくされた。関脇で大関復帰が懸かった秋場所も3日目から休場した。体が悲鳴を上げていたに違いない。引退会見では「横綱を目指す体力と気力がなくなった」と述べた。戦い続けた心身を休めるのが最優先だろう。

 身長175センチと力士としては小柄ながら、相手に頭から激しくぶつかる押し相撲と勝負に対する真摯(しんし)な姿勢は、後輩力士の手本となるべきものだ。たゆまぬ努力と健闘をたたえるとともに、今後は指導者として角界をもり立ててもらいたい。

 貴景勝が相撲を始めたのは、仁川学院小(西宮市)3年のときだ。報徳学園(同)で中学優勝を果たし、強豪・埼玉栄高校を経て貴乃花部屋に入門した。他の力士に体格で劣るため、稽古だけでなく食事や睡眠への意識を高め、自ら「武士道」と例える強靱(きょうじん)な精神をつくり上げた。

 白鵬と鶴竜がそろって休場し、横綱不在となった時期の奮闘は印象深い。20年秋場所は準優勝、九州場所は2度目の幕内優勝を果たした。21年も夏、九州場所で準優勝を重ねた。観客制限や集団感染など新型コロナウイルス禍の暗雲に覆われた角界に希望をもたらした。

 まわしを取って組み合う四つ相撲に比べ、押し相撲は安定感に欠け、綱取りは容易ではないとされる。小柄ゆえ四つ相撲は不利と考え、押し相撲を極めようとした貴景勝が横綱に昇進していれば、新たな歴史を刻んだに違いない。

 ただ、豪快な取り口が身体に大きなダメージを与えるのは、素人目にも明らかだった。首のけがが響き、最近は稽古も十分にできなかったという。全力を出し切れないまま引退する無念さは察するに余りある。

 地元力士では高砂市出身の元関脇妙義龍も引退する。新十両の10年初場所で負傷し三段目下位まで落ちたが、不屈の努力で関脇まで駆け上がり、大関昇進も待ち望まれた。2人の引退で、11月の九州場所は兵庫出身の関取が不在になる見通しだ。

 貴景勝は年寄「湊川」を襲名、妙義龍は年寄「振分」として、後進の指導に当たる。果たせなかった綱取りの夢を託し、次代を担う力士の発掘、育成に力を尽くしてほしい。