神戸新聞NEXT

 罪のない人が死刑を言い渡され、数十年にわたって刑の執行におびえ続ける。究極ともいえる人権侵害を日本の司法制度が許していることを、私たちは直視するべきだ。

 1966年に静岡県のみそ製造会社専務の一家4人が殺害された事件の裁判をやり直す再審公判で、静岡地裁は強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さん(88)に無罪判決を言い渡した。

 逮捕から58年、死刑確定から44年になる。無実を訴える手紙を送り続けた袴田さんはその間、拘禁症状により精神の均衡を崩し、出廷も難しい状態に陥った。これ以上、救済を遅らせてはならない。

    ◇

 国井恒志裁判長は判決で、袴田さんの代わりに出廷した姉のひで子さん(91)に「裁判所として審理に時間がかかってしまったことは本当に申し訳ない」と謝罪した。一方で、検察による控訴の可能性を踏まえ「真の自由を獲得するには時間がかかる」と理解を求めた。

 争点となった証拠は「三つの捏造(ねつぞう)がある」としてすべて退けられた。検察側は控訴すべきではない。袴田さんへの真摯(しんし)な謝罪と速やかな名誉回復を実現してもらいたい。

 通常の刑事裁判の一審から、捜査側の過酷な取り調べや証拠の脆弱(ぜいじゃく)さが露呈した。ところが事件から約1年2カ月後、公判途中に血痕の付いた5点の衣類がみそタンクから発見され、袴田さんの実家からその端切れも見つかった。これらが有力な証拠となり死刑判決が確定した。

 流れを変えたのは、第2次再審請求審で裁判所の指示により検察が提出した衣類のカラー写真だ。1年以上みそに漬かっていたにもかかわらず血痕の赤みが残り、被告側が科学的に不自然だと立証した。

 再審開始を決めた2014年の静岡地裁と23年の東京高裁の判決は、捜査側による証拠捏造の可能性を示唆した。国井裁判長は捜査機関が血痕を付けて隠したとまで言及、「非人道的な取り調べ」による自白調書などとともに捏造と断じ、袴田さんは犯人と認められないとした。

■裁判官任せのルール

 ずさんな捜査結果を突き崩すのになぜ時間がかかったのか。要因の一つに、証拠開示のルールが定められていないことが挙げられる。再審無罪の決め手となった衣類の写真など全ての証拠が当初から開示されていれば、通常審の段階で無罪になった可能性は否定できない。

 09年の裁判員裁判の導入などに合わせ、刑事裁判で検察側の証拠は広く開示されるようになった。しかし再審請求審では裁判官の裁量に委ねられ、過去には開示に消極的なケースもあったとされる。

 袴田さんの事件を含め、新たに示された証拠が無罪判決の決め手となった例は事欠かない。再審の手順や証拠開示の基準の整備が不可欠だ。ルールが明確になれば、やみくもに再審を請求する乱訴への一定の歯止めにもなるのではないか。

 再審の判決までに途方もない年月を要し、被告や弁護団に重い負担を強いることも課題だ。要因として、再審請求審で検察側に不服申し立てを認めていることが挙げられる。

 袴田さんの事件でも、14年の静岡地裁による再審開始決定を不服として検察が即時抗告した。再審は「被告に無罪を言い渡すべき明らかな証拠」がなければ開かれず、そもそもハードルが極めて高い。検察側の抗告を認めず、速やかに再審に移行する法改正が急務だ。

■死刑の是非議論急げ

 死刑の確定後、再審で無罪判決が出たのは、袴田さんで戦後5例目となる。4件は1980年代に無罪が確定した。死刑執行後に再審請求が行われている事件も複数ある。

 警察や検察による証拠の捏造や改ざんは今もやまない。死刑執行後に冤罪(えんざい)だと判明した場合は取り返しのつかないことになる。先進国で死刑制度を維持するのは日本と米国だけだ。無罪判決を機に、死刑の是非について議論を急がねばならない。

 袴田さんの無実を信じ、長年にわたって闘い続けたひで子さんと弁護団には改めて敬意を表したい。否認事件では世間の誹謗(ひぼう)や中傷はひときわ強いとされる。精神的、肉体的な苦痛は計り知れず、法廷でひで子さんが流した涙には、さまざまな思いが込められていたに違いない。

 司法は、支援者らの奮闘により罪のない人の命を奪う過ちを回避できたと受け止める必要がある。なぜこのような誤捜査と誤審がまかり通ってきたのか、深い反省に基づく検証と再発防止策の確立が欠かせない。