今年のノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が決まった。日本の個人、団体としては「非核三原則の提唱」で受賞した佐藤栄作元首相以来、2例目となる。
核兵器廃絶運動と被爆体験の伝承を主導してきた団体だ。今年で結成68年、来年は広島、長崎への原爆投下から80年を迎える。唯一の戦争被爆国から「核なき世界」の実現に向け積極的に発信を続けてきた努力が認められたことを喜び、身を削るように活動を続けてきた被爆者一人一人に改めて敬意を表したい。
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ノーベル賞委員会は授賞理由について「苦しい記憶を伝え続けることで『核兵器使用のタブー』を確立した」とし、世界に核兵器反対運動を広げた功績を評価した。
世界に目を向ければ、リスクは高まるばかりだ。2022年からウクライナ侵攻を続けるロシアは核使用の脅しを繰り返す。パレスチナ自治区ガザでの戦闘では核使用による終結が公然と語られる。核がもたらす悲劇と脅威を訴える被爆者の声の重みはいよいよ増している。
核軍縮関連では、核戦争防止国際医師会議(1985年)やパグウォッシュ会議(95年)、国際原子力機関(05年)などが平和賞を受賞し、17年には国際非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が続いた。こうした団体が何度も選ばれている背景には、核廃絶が前進しない現実に対するノーベル賞委員会の強いメッセージがうかがえる。
■継承へ厳しい現実
被爆者たちの歩みは苦難の歴史だった。占領下、原爆に関する報道は規制され、被爆者への援護策も講じられなかった。だが、1954年、米国によるビキニ環礁水爆実験を受け、日本で反核運動のうねりが起きた。病苦や差別に耐えてきた被爆者は「空白の10年」と呼ばれる時期を経て立ち上がり、56年に全国組織の被団協が発足した。
「世界への挨拶(あいさつ)」と題した結成宣言は「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります」と高らかに訴えた。以来、「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家賠償請求の達成」を運動の柱に掲げてきた。
だが、組織は今、厳しい現実に直面する。被爆者の高齢化は一層進み、今年3月末で平均年齢は85・58歳。以前は37万人を超えた被爆者健康手帳の所持者は、その3分の1以下の約10万7千人になった。
地方組織の維持は困難になり、市町村単位の団体は全国各地で休会や解散に追い込まれている。
体験者が減る中、被爆地では被爆体験を受け継ぐ次世代の「伝承者」の育成が進んでいる。被爆地外でも、兵庫県を含む全国各地の高校生が街頭で署名を集め、核廃絶を訴えて国連本部などに届ける「高校生平和大使」の活動が広がっている。
ノーベル賞委員会は、日本の若い世代への期待も示した。新たな段階に活動を押し上げる弾みにしなければならない。
■日本は先頭に立て
「核なき世界」の実現をめぐる内外の情勢は複雑で道は険しい。世界には現在、米ロを中心に1万2千発を超える核弾頭があるとされる。
核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、「段階的な核軍縮」を主張する核保有国と、核軍縮の停滞に不満を持つ非保有国が対立し、2015年に続いて22年も最終文書を採択できないまま決裂した。
一方で、核兵器を全面的に違法化する「核兵器禁止条約」が21年に発効し、73カ国・地域が批准している。こうした動きに保有国は「核抑止力による安全保障を無視した軍縮は成功しない」と強く反発する。
残念なのは、保有国と非保有国との溝を埋めるための「橋渡し役」となるべき日本が十分に役割を果たしていないことだ。米国の「核の傘」に依存する日本政府は、同盟関係を重視する立場から禁止条約の批准に消極的だ。これでは「核兵器廃絶」の訴えは説得力を欠く。
日本政府は、この授賞を被爆国としての主体的な行動を促すメッセージと受け止め、禁止条約の批准を決断すべきだ。
被団協が01年に発表した「21世紀 被爆者宣言」にはこんな言葉がある。「核兵器も戦争もない21世紀を-。私たちは、生あるうちにその『平和のとびら』を開きたい」
その思いを共有し、日本が先頭に立って平和と核廃絶を訴えていくことを誓い合いたい。