1985年の日航ジャンボ機墜落事故から12日で40年になった。単独の航空機事故としては史上最悪の520人が亡くなり、兵庫県関係者も100人以上の命が奪われた。犠牲者の無念に思いをはせ、安全への決意を新たにしたい。
遺族らは今年も群馬県上野村の墜落現場へ慰霊登山し、「昇魂之碑(しょうこんのひ)」の前で黙とうをささげた。9歳だった次男健(けん)さんを亡くし、遺族らでつくる「8・12連絡会」の事務局長を務めてきた美谷島邦子(みやじまくにこ)さん(78)は「仲間に支えられた40年だった。今後も命の重さを発信していきたい」と振り返った。
遺族の悲しみは今も癒えないが、高齢のため慰霊登山を断念する人も増えている。当時を知る日航の社員もわずかになった。悲惨な事故を繰り返してはならないとの思いを、次の世代へつなぐ必要がある。
事故の原因は後部圧力隔壁の修理ミスとする最終報告書が87年、当時の運輸省航空事故調査委員会によってまとめられた。88年には日航、運輸省、米ボーイングの計20人が業務上過失致死傷容疑で書類送検されたが、全員が不起訴となった。
今年は尼崎JR脱線事故20年の節目でもある。いずれの事故も多数の犠牲者を出したが、1人も刑事責任を問われることはなかった。事故原因の徹底解明と、脱線事故の遺族らが求める「組織罰」の両立に向けた議論を深めねばならない。
二つの事故の遺族らは国土交通省に要望し、さまざまな相談に応じる「公共交通事故被害者支援室」を2012年に実現させた。複雑な心境を抱えながら、残存機体や車両、遺品の展示について議論を重ねてきた。安全対策の向上に遺族が果たした役割は大きい。
美谷島さんらの願いにもかかわらず、航空機事故は今も世界中で起きている。国内では昨年1月、羽田空港で日航と海上保安庁の航空機が衝突し、海保機の5人が亡くなった。日航機の379人は無事だったが、脱出直後に機体が炎に包まれ、一歩間違えば大惨事になっていた。
直接の原因は滑走路への海保機の誤進入だが、管制官も日航機の乗務員も海保機の接近に全く気付かなかった。国は緊急対策として管制官の指示の復唱の徹底を打ち出したが、その後も対策を怠ったことによる日航機の誤進入などが相次いだ。
乗務員からのアルコール検出も続発している。安全に対する意識が緩んでいないか、いま一度危機感を高めるべきである。
人為的ミス(ヒューマンエラー)は必ず起きる。それを前提に、国や自治体、交通機関は安全対策を積み重ねることが肝要だ。