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 沖縄県はきのう、米軍統治下から本土に復帰して54年となった。1972年に施政権が返還されたが、住民が強く求めた基地の整理・縮小は進んでいない。現在も在日米軍専用施設面積の7割が同県に集中し、主に強制収用された軍用地が沖縄本島の約15%を占める。基地周辺の住民は戦闘機の騒音や米兵による凶悪な事件・事故、深刻な環境汚染などに苦しむ。本土の私たちもこうした問題と向き合わねばならない。

 復帰直後の72年11月3日、神戸市葺合区(現中央区)の神戸国際会館で、兵庫県・沖縄県友愛提携調印式があった。太平洋戦争中に沖縄へ赴任し、戦地で行方不明になった島田叡(あきら)知事が神戸出身であるほか、多くの沖縄出身者が兵庫に暮らすなど、両県はゆかりが深い。兵庫では本土復帰を機に、沖縄に青少年施設を建設する募金活動などが行われた。

 兵庫の坂井時忠知事と調印式に臨んだ沖縄の屋良朝苗(やらちょうびょう)知事は「兵庫県民の温かい支援に感謝している」と述べた。友愛提携の協定書には「平和と民主主義を基調として(略)あらゆる分野で活発な交流をはかり、理解を深め、協力し合う」とある。悲惨な地上戦を体験し、長く軍政下にあった沖縄の人々に思いを寄せる誓いである。改めて心に刻みたい。

 復帰後初の知事だった屋良氏は、米施政下の琉球政府で最後の行政主席を務めた。復帰前の71年11月、日本政府に向けた「復帰措置に関する建議書」をまとめた。そこには住民の切実な思いが込められている。

 建議書は、本土復帰を求めた理由について「平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからに外なりません」と記した。そして「従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」と訴えた。米側に自治権も土地も奪われてきた人々からすれば、当然の要望である。

 しかし建議書は無視され、米軍基地は残った。復帰後に返された土地はあるものの、返還合意から30年が過ぎた普天間飛行場など主な施設は居座り続ける。基地のない島の実現は遠いと言わざるを得ない。

 基地による人権侵害を受け続ける住民に対し、米軍関係者は特権的な法的地位を定めた日米地位協定に守られている。米兵による事件や事故では日本側の捜査が制限され、環境汚染に関しても基地への立ち入り調査ができない。協定の見直しを米側に求めるのは政府の責務である。

 沖縄は国家権力や基地権力の犠牲となってきた地位から脱却しなければならないと、半世紀前の建議書は訴えた。その主張は今なお古びていない。基地負担を強いる現状を一刻も早く改善する必要がある。