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 沖縄県はきょう、戦後81年の「慰霊の日」を迎える。

 1945年、沖縄戦で組織的な戦闘が終わったとされる日で、米軍統治下の61年に当時の琉球政府立法院が定めた。最後の激戦があった同県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が開かれる。日米合わせて20万人以上とみられる犠牲者を悼むとともに、戦禍を繰り返さないとの思いを強くしたい。

 米軍は45年4月、沖縄本島に上陸した。旧日本陸軍第32軍(沖縄守備軍)は持久戦に持ち込んだものの、同6月23日までに牛島満司令官らが自決した。軍が本島南部に撤退した結果、多くの民間人が地上戦に巻き込まれた。死亡した県民は計約9万4千人と推計され、沖縄出身の軍人軍属を合わせると犠牲者は県民の4人に1人に上る。無謀な作戦が招いた悲劇というほかない。

 沖縄への上陸後、米軍は飛行場建設などを進め、住民の土地を強制的に接収して基地を広げた。72年の本土復帰が決まり、琉球政府は日本政府に「去る大戦において悲惨な目にあった県民は(略)戦争につながる一切のものを否定しております」と訴え、基地の撤去を強く求めた。県民感情からすれば当然である。

 しかし現在も米軍基地の整理・縮小は十分に進んでいない。それどころか、返還が決まっている普天間飛行場の代替として名護市辺野古で新基地の建設が強行されている。

 台湾有事を念頭に、自衛隊も石垣島など先島諸島へのミサイル部隊配備などを進める。政府は同諸島から住民ら約12万人を九州などに避難させる計画概要を公表したが、実効性を疑う声があり、地元には不安が広がる。「平和の島」を望む県民の思いから離れるばかりだ。

 今年11月、2019年の火災で全焼した首里城(那覇市)の正殿の再建が完了し、一般公開される。首里城は琉球王国の貴重な遺構だが、戦時中、第32軍が地下に設けた司令部壕(ごう)が米軍の攻撃に遭い、首里一帯は壊滅的な被害を受けた。正殿などは1992年に復元されていた。

 沖縄県は、封鎖された司令部壕の保存にも取り組む。内部の公開などを順次進め、展示施設も整備する方針という。首里城と合わせ、琉球・沖縄の歴史と戦争の惨禍への理解を深める場になることが期待される。

 沖縄戦では正規の軍人よりも多くの民間人が犠牲になった。守備軍があっても島を守れず、むしろ住民の犠牲が拡大した事実は重い。世界各地で紛争が相次ぐ今こそ、その教訓を生かす必要がある。体験した人たちから直接話を聞くこともまだ可能だ。地上戦の記憶をしっかりと次世代に引き継がねばならない。