広島に原爆が投下されてきょうで81年になる。長崎も9日にそのときを迎える。「核なき世界」への決意を新たにする日としたい。
体験を語り継いできた被爆者が鬼籍に入り、高齢化も進む中、惨事の実相を後世にどう伝えるかが大きな課題となっている。被爆者健康手帳を持つ人は1981年3月時点で約37万2千人いたが、2026年3月には約9万1千人になった。平均年齢は86歳を超える。
残念ながら、世界では核兵器削減に逆行する動きが広がる。いずれ訪れる「被爆者なき時代」を見据え、伝承の裾野をさらに広げる必要がある。
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継承か、解散か-。24年にノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は、今後の組織の在り方について重い決断を迫られている。
今年6月、東京で開いた定期総会で、被爆2世、3世を含む「非被爆者」で存続を目指すか、役員を務める被爆者の活動実態がなくなる時点で解散するかを、来年の総会で決めることで合意した。
1956年の結成から70年。被団協は「核廃絶」と「原爆被害への国家補償」を柱に、被爆者援護法の制定に尽力し、核兵器禁止条約の採択を後押ししてきた。
しかし、メンバーの減少と高齢化が組織の運営に影を落とす。かつて全都道府県にあった被団協の地方組織は活動休止や解散が相次ぎ、34都府県にまで減った。
■問われる社会の意思
ノーベル賞受賞で講演依頼が増えたが、担い手の不足で応えることが難しくなっている。核の脅威が高まる今、存在意義を共有し、世界的に認められた活動をどう支えるか。日本社会の意思が問われている。
昨年夏、姫路市平和資料館で、市内に住む井上恵子さん(69)は広島市で生まれた母から伝え聞いた被爆体験を初めて講演で語った。
母親の中本宣子(のぶこ)さんは、13歳のときに暗号解読のために学徒動員された先で被爆した。自身は生き延びたが、父親と姉、多くの友人を失った。約30年前に姫路に移り住み、2010年から毎年夏になると被爆体験を平和資料館で証言した。
ここ数年は病気などもあって登壇できなかったが、昨年は久しぶりの講演をカレンダーに印を付けて心待ちにしていたという。だが、講演の4カ月前に心筋梗塞のため93歳で亡くなった。恵子さんは悲しみの中、母親に代わり講師を務めることを平和資料館に申し出た。
「被爆2世として語り継ぐ責任を感じる。100年後、為政者に歴史を書き換えられ、『原爆投下はフェイクだ』と言われることのないようにしなければ」。恵子さんは今年も今月9日に平和資料館で聴衆の前に立つ。
恵子さんのような被爆2世や3世だけでなく、未体験者に記憶の語り部となってもらう取り組みが広がっている。
■体験していなくても
広島市は12年度に「被爆体験伝承者」の養成を始めた。長崎市も16年度から「交流証言者」を育てる。広島市の場合、受講者は2年間の研修で被爆者の体験を聞いたり、話法を磨いたりして、伝承者の認定を受ける。現在267人が全国の学校や市民団体の依頼で語り継いでいる。
その1人、神戸市出身の関西学院大職員、鎌田真さんは20年に伝承者に認定され、原爆孤児となった男性の体験を学校などで伝えている。姫路市の久保田智子教育長も、広島市の研修を受けた伝承者として先月、姫路市内で講演した。
体験した人だからこそ、リアリティーを伴って伝えられるものがある。同時に、非体験者が証言者から伝授された体験に自身の思いを重ねて語り継ぐことで、聴衆が興味を持ったり、身近な話として受け止めたりする場合もある。今を生きる人たちに伝わる記憶の継承の在り方を模索し続けたい。
世界に目を向ければ、米国とロシアの間に唯一残っていた新戦略兵器削減条約(新START)が今年2月に失効した。核拡散防止条約(NPT)の再検討会議は、前回、前々回に続き成果文書の採択に至らなかった。英国やフランスも核戦力の増強を目指す。
偶発的な衝突のリスクはかつてなく高まっている。日本は唯一の戦争被爆国として、核抑止力の限界を各国に粘り強く説き続け、核軍縮の枠組みを再建するための外交努力を重ねるべきである。
























