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転機を生きる

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ウズベキスタンで撮影した新作が来年公開される黒沢清さん。「現地スタッフとの仕事は新たな刺激になった」=東京都渋谷区(撮影・西岡 正) ロケ現場に立ち会う松下麻理代表=神戸市中央区(撮影・三津山朋彦) 青木眞弥さん 林未来さん 神戸新聞NEXT 神戸新聞NEXT
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ウズベキスタンで撮影した新作が来年公開される黒沢清さん。「現地スタッフとの仕事は新たな刺激になった」=東京都渋谷区(撮影・西岡 正)

ロケ現場に立ち会う松下麻理代表=神戸市中央区(撮影・三津山朋彦)

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ウズベキスタンで撮影した新作が来年公開される黒沢清さん。「現地スタッフとの仕事は新たな刺激になった」=東京都渋谷区(撮影・西岡 正)

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■フィルムへの郷愁、作品に

 「われわれは変化のただ中にいる」。神戸市出身の映画監督黒沢清さん(63)は、映画の現在地をこう表現する。「これからどうなっていくのか、本当のところ、分からない」

 映画が娯楽の代表格とされた「黄金期」は過ぎ去って久しい。テレビが普及した1970年代には「いらないという風潮さえあった」と黒沢さん。大手映画会社が系列映画館で自主作品を上映するスタイルは廃れ、テレビ局や出版社も参入する「製作委員会方式」でリスクを分散せざるを得なくなった。

 それでも映画が生き残ってきたのは「平成時代の新しい監督たちが自分の表現を追求してきたから」。イマジネーションあふれるアニメの宮崎駿さん、鮮烈なバイオレンス表現の北野武さんらがけん引してきた。

 ホラー映画の鬼才として知られる黒沢さんは、昭和の巨匠黒沢明監督に続く「新しいクロサワ」と称賛され、国内外の映画賞をいくつも受賞してきた。

 新しい手法も貪欲に吸収する。1本の大木を巡る人々の対立を描いた作品「カリスマ」(2000年)では、大木の描写などに初めてコンピューターグラフィックス(CG)を導入。根から毒素を出して周囲の木を枯らす異様な存在を、画面に怪しく映し出した。このころから、デジタル撮影と実写を組み合わせる表現方法が広がっていった。

 根っからの映画好き。小学生から怪奇映画に親しみ、六甲学院中学・高校時代はジャンルを問わず何でも見た。自身で製作を始めたのは立教大在学中。映画評論家蓮実(はすみ)重彦さん(現東京大名誉教授)の講義を受け、世間の評価や既存の権威にとらわれない姿勢に感銘を受けたことが転機になった。監督デビューは「神田川淫乱(いんらん)戦争」(83年)。前衛のにおいがするピンク映画だ。

 「リアル-完全なる首長竜の日」(13年)では、デジタルで撮影後、古い映写機しかない映画館のためにフィルム化した。作業に当たった映像関連会社から「フィルムはこれで最後」と言われ、8ミリフィルムから親しんだ世代として感慨を禁じ得なかった。

 16年にドイツで開かれた映画祭では、自作「キュア」(1997年)がフィルム上映される機会に接する。「繊細で穏やかで自然にいい感じだった」。かつて映画館の暗闇で感じたときめきを再現するため、デジタルで撮ってフィルムのような陰影やノイズ感を出すことに苦心する。

 複合型映画館(シネコン)の台頭もあり、近年は興行収入100億円前後のヒット作や、社会現象を生んだ作品もあった。「でも、もうけが出ている作品はアニメを除けば年に10本くらいでは」と黒沢さん。映画を取り巻く環境は依然として厳しい。

 05年から東京芸術大教授を務める。かつて影響を受けた蓮実さんのように、後進の背中を押したい。

 「知恵と労力を結集して映画を作るのは、大変な作業。だからこそ、一本の映画が生まれることは尊いのです」

■映画誘致で町おこし、全国へ

 「こんなことまでできるなんて…。さすが神戸」。映画「デスノート Light up the NEW world」(2016年)の主演俳優東出昌大(ひがしでまさひろ)さんは、テレビ番組で神戸ロケの思い出を聞かれ、こんなふうに答えた。

 ロケは15年の神戸ルミナリエ終了翌日から3日間、大丸神戸店北側のスクランブル交差点を夜間封鎖して行われた。交差点を行き交う通行人が1人、また1人と倒れ、死んでいく。エキストラ約500人が参加した場面は、全編の中でも特別な印象を残した。

 「長年の経験が生きた瞬間。仕事冥利(みょうり)に尽きる」と振り返るのは、映画やドラマなどの撮影を誘致・支援する「神戸フィルムオフィス」代表の松下麻理(まり)さん(56)。全国に先駆けて設立されたのは、阪神・淡路大震災の傷痕がまだ色濃く残る2000年だった。

 日本で初めて地下鉄線路内でロケを敢行した行定勲(ゆきさだいさお)監督の「GO」(01年)、旧居留地の公道で銃撃戦の場面を撮影した北野武監督の「アウトレイジ」(09年)など、100本以上の映画を陰で支えてきた。

 日頃から撮影地探し(ロケハン)を怠らず、各監督の好みに合わせた「絵になる風景」をストックする。地元警察や住民との信頼関係も築き、「要望にはできる限り応えている、という自負がある」と松下さん。派手な爆破や群衆のシーンだけではなく、切ないラブストーリーや心温まる物語にもぴったりな「街の表情」を提案する。

 「よそでは難しいことも、神戸なら一緒に解決法を考えてくれる」と映画業界の評判は上々。エキストラや美術の飾り付けなどで応援してくれる市民を「サポーター」と呼び、現在は約1万人が登録する。

 神戸と同じころ、大阪、横浜、北九州市でも相次いで発足。映像を通じて地域の知名度を高め、観光振興を図れるため、「映画誘致で町おこしを」という掛け声は全国に広がった。今では、その数は200~300に上る。

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 昭和から平成に入り、長く続いた邦画の低迷に転機が訪れた。配給本数が洋画を逆転し、17年には約600本の邦画が公開された。

 「作り手の事情だけでなく、見る側の状況も変化した」と話すのは、神戸市出身で映画専門誌「キネマ旬報」前編集長の青木眞弥(しんや)さん(55)。海外の情報はインターネットでいつでもどこでも手に入るため、「映画を通じて未知の文化、社会を知りたいという欲求が減った」。特に若者の洋画離れが進行し、字幕を読むのが面倒、という声も聞かれるようになった。

 10代~20代前半の身近なアイドルの人気が拍車をかける。彼女らを主役にしたり、少女漫画やライトノベルなどを原作にしたりしたいわゆる「キラキラ映画」が次々と送り出された。

 キネマ旬報が扱ってきたのは、映画館で上映され、不特定多数がお金を払って見る映画。しかし「それも変わりつつある」と青木さん。「ネットフリックス」「アマゾン・プライム・ビデオ」「dTV」などの動画配信サービスが15年ごろから急速に普及し、ネット配信でしか見られない作品が続々と登場する。巨額の予算で有名俳優を起用し、評価の高い作品も多い。

 カンヌ国際映画祭は本年度、「フランスの映画館で上映されること」を出品条件にしたが、ベネチア国際映画祭は動画配信の作品にも賞を出している。

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 「量産により、映画の『賞味期限』はどんどん短くなっている。関心は半年と持たない」。元町映画館(神戸市中央区)の支配人林未来(みらい)さん(44)は嘆く。同館は10年、映画ファン有志の手でオープン。ヒット作優先の複合型映画館(シネコン)しか知らない世代が増える中、スクリーン一つのミニシアターながら、年間約200本の「今、見てほしい作品」を上映する。

 「神戸で見られる映画の選択肢を減らしたくない」と自主製作映画もプログラムに入れる。「売れることだけがいい映画の条件なのか」と林さんは強調する。

 若手映画作家をバックアップするため、大阪、京都のミニシアターと協力し、文化庁の助成を得て「次世代映画ショーケース」という組織を立ち上げた。「見た人が自分の頭で考え、何かを感じ取れる作品を見つけ、紹介したい」

 宣伝に踊らされず、能動的に映画を選んでもらうために、林さんの努力は続く。(片岡達美、金井恒幸)

2018/11/26

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