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阪神・淡路大震災など平成時代に起きた災害を語る室崎益輝さん=神戸市中央区脇浜海岸通1(撮影・大森 武) 被災者らとの交流体験を語る岸本くるみさん=神戸市中央区港島1(撮影・斎藤雅志) 頼政良太さん 神戸新聞NEXT
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阪神・淡路大震災など平成時代に起きた災害を語る室崎益輝さん=神戸市中央区脇浜海岸通1(撮影・大森 武)

被災者らとの交流体験を語る岸本くるみさん=神戸市中央区港島1(撮影・斎藤雅志)

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■被災経験踏まえ防災を説く

 天災は全てを一変させる。暮らしを、まちを、未来を。

 災害の専門家も例外ではない。1995年1月17日の阪神・淡路大震災。すでに防災研究者として活躍していた兵庫県立大学大学院教授の室崎益輝(よしてる)さん(74)も被災者となった。

 「研究者としての姿勢や覚悟が変わりました」

 防災の道へ進んだきっかけは、68年に起こった有馬温泉の旅館火災。迷路状の内部設計が多数の命を奪ったと考え、災害と建築の研究に打ち込んだ。それから50年余り、第一線を走り続けている。

 あの日。神戸大学の教授として国際会議に出席する予定で、大阪市内にいた。崩れた家屋、立ち上る黒煙、広がる炎…。震災発生を伝えるテレビ画面にくぎ付けになった。

 翌日、やっとの思いでたどり着いた神戸は「想像を超える惨状だった」。建物が倒壊し、空がやたらと広く感じた。あちこちから聞こえる「助けて」の声。涙があふれた。

 「先生のせいです。震度7の地震が来ると分かっていたら、家族が死ぬことはなかった」。被災者がかけてきた電話の悲しみと怒りに震えた声を、24年たった今も忘れることはない。

 震災前、兵庫県や神戸市の防災計画に携わっていた。県内では過去に震度6以上の地震はなく、計画は震度5強を想定。行政や企業とともに策定したが、非難の矛先は学者に集中した。「未来の可能性を考え、最悪中の最悪を想定しなくては」。非現実的と批判されても、備えの重要性を訴え続ける。

 被災地や復興住宅に通い詰め、住民の声に耳を傾けた。立ち話が数時間に及んだこともある。「主役は住民。安全と同じくらい、地域コミュニティーや歴史、文化に配慮した復興が求められる」。対話を繰り返し、胸に刻んだ教訓だ。

 大災害からの復興は、泥まみれになったカンバスに絵を描き直すようなもの-と説く。急ぐべきは白いカンバスに戻す過程。家屋の解体やがれきの撤去、仮住居の確保だ。その後、名作を描くように時間をかけ、復興計画を練る。

 「被災直後は苦難と疲労の極限にあり、将来を考える余裕はない。復興の結論を出すのは、被災者が自立してからだ」

 2011年の東日本大震災、16年の熊本地震、18年の西日本豪雨など、近年は大規模災害が続発している。そのたびに自らに問い掛けた。阪神・淡路の教訓を生かせているのか-。

 ボランティア活動の広がりや被災者生活再建支援法の整備など、進んだ面もある。一方で、次世代への継承に限界も感じている。

 復興した自治体は成功体験のみを語りがちだ。「同じ過ちを繰り返さないためには、失敗体験を引き継ぐことも重要」と訴える。

 次の時代も、災害は必ず起こる。南海トラフ大地震や首都圏直下地震は、明日襲ってくるかもしれない。研究者として、被災者の一人として、何ができるか。自問は続く。(末永陽子)

■ボランティア元年、共助の輪

 平成は「大災害の時代」とも呼ばれる。阪神・淡路と東日本の二つの大震災に加え、水害も相次いだ。気象庁によると、1989(平成元)年以降、災害をもたらした大雨や台風は110を超えた。

 次の時代はどうか。同庁の予測では、21世紀末に1時間に50ミリ以上の大雨が降る回数は、20世紀末と比べて2倍以上になる。

 地震の脅威も高まっている。南海トラフ巨大地震が30年以内に発生するとされる確率は70~80%。2016年の熊本地震が発生する前、熊本市の発生確率の予想は7・6%だった。いかに高いかが分かる。

 次代も自然災害への対応が大きな課題になりそうだが、平成時代には“希望”の芽生えもあった。

 契機となったのは95年の阪神・淡路大震災。137万人が被災者支援に駆けつけ「ボランティア元年」とうたわれた。以後、共助の輪は広がり続け、防災や減災を担う人づくりも急速に進んでいる。

     ◇

 兵庫県立舞子高校(神戸市垂水区)には、全国唯一の防災の専門学科「環境防災科」がある。略して環防(カンボー)。阪神・淡路の教訓を生かそうと、02年に設置された。

 「普通科が嫌で、何げなく選んだ。今もその道にいるのが不思議です」と話すのは、1期生の岸本くるみさん(31)。現在は社会防災学科のある神戸学院大学(同市中央区)で実習助手として働く。

 高校卒業後は同大法学部に進んだが、カンボーで被災者と触れ合った体験が忘れられず、被災地支援や防災活動に明け暮れた。卒業後は青年海外協力隊に参加。だが、赴任先で原因不明の摂食障害に悩まされた。

 失意のまま帰国し、実家で療養生活を送っていた頃、知人から誘われて「防災の現場」に戻った。なじみの関係者も多く、自分にできることがあるかもしれない、と前を向いた。

 東日本大震災の直後には、被災地から届く写真の修復作業を手伝った。

 旅先の風景やいろんな記念日、家族の成長の記録…。アルバムに詰まった思い出は、泥にまみれていた。写真を洗浄、データ化し、画像処理ソフトで修正していく。約5年間、来る日も来る日も写真と向き合った。

 完成写真を持ち主や遺族に送ると、涙声で電話をかけてきたり、手書きの礼状を送ってくれたりした。一人一人の人生を思い、胸が詰まった。「支えるつもりで励まされることが多かった」と振り返る。

 24年を経て震災を知らない世代も増えてきたが、防災の精神は確実に受け継がれている、と感じる。

 「まずは知ることで、備えることができる。カンボーでも大学でも、防災を学びたいという強い意志を持って入学する子が多い」

     ◇

 「復興の捉え方は被災者一人一人で違う。支援の在り方も自由で多様なほうがいい」

 災害ボランティアの頼政良太さん(30)=神戸市灘区=は力を込める。

 震災を機に発足した復興支援団体「被災地NGO恊働センター」(同市兵庫区)の代表。07年の能登半島地震をはじめ、国内外の被災地22カ所で支援活動に携わってきた。

 災害ボランティアに憧れはなかった。広島市出身で震災も知らない。神戸大に入学した07年春、「タダ飯が食べられるから」と顔を出した学内サークル「中越・KOBE足湯隊」の報告会がきっかけだった。

 能登半島地震の被災地に開設された避難所で、たらいの湯で被災者の足をほぐし、話を聞く活動をしていると聞き、耳を疑った。「災害直後に足湯?」。思い描くボランティア像とかけ離れていたことで逆に興味が湧き、2回目の派遣に参加した。

 手足をもみながらたわいもない話をする。「また来てね」と喜ばれた。回を重ねるにつれ「家が半壊だったの」などと、被災状況を打ち明けてくれた。

 部外者だからこそ吐き出せる本音がある。「話を聞くだけでも支援になる」と実感し、のめり込んだ。

 地域コミュニティーの衰退や孤独死など、被災地では社会のひずみが顕在化する。復興支援が思い通りに進んだと感じたことはないが、「解決を焦る必要はない」とも考える。

 「顔見知りがたまにやって来れば生活が少し豊かになる。被災者を前向きにすることが私たちの役割。出会った人を支え続けるボランティアが増えてほしい」

 人が人を救う。だからまた、被災地を訪ねる。(末永陽子、金 旻革)

2019/1/21

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