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FOP患者の山本育海さんと母智子さん。絆を力にともに歩む=明石市鷹匠町、市立市民病院(撮影・中西大二) 松田暉さん 松田暉さん 神戸新聞NEXT 神戸新聞NEXT
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FOP患者の山本育海さんと母智子さん。絆を力にともに歩む=明石市鷹匠町、市立市民病院(撮影・中西大二)

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■難病の治癒信じ、研究に協力

 「一日も早く、治療法を見つけてください」

 2009年11月、京都市の京都大学。筋肉中に骨ができる難病「進行性骨化性線維異形成症(FOP)」と闘う山本育海(いくみ)さん(21)=明石市=が切々と訴えた。

 向き合ったのは、さまざまな体の組織に変化する「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を世界で初めて作製した同大教授の山中伸弥さん(56)だ。山本さんを「いっくん」と愛称で呼び、「僕らと患者とで一日の長さが違うことはよく分かっている」と、創薬研究への協力を誓った。

 FOPを発症するのは、200万人に1人とされる。けがや疲れで進行するため運動や外出もままならず、やがて動けなくなる。

 山中さんの画期的な成果を応用し、FOP患者の細胞を培養すれば、進行を止める物質を発見できないか-。山本さんは自らの皮膚を研究用に提供することを申し出た。皮膚採取には体に針を刺すため、さらなる骨化のリスクも否めない。それでも山本さんは「神さまからの宿題」に答えを出すため、決断した。

 症状がはっきり現れたのは06年7月、小学3年の頃。授業で鉄棒から落ち、肩から背中、手足にかけて腫れが広がった。痛みが引かず腕が上がりにくくなった。

 あちこちの医療機関で「異常なし」と告げられる中、唯一FOPを疑ったのは明石市民病院の小児科医。ただ、診断が確定しても根治への道筋はない。時折、40度以上の高熱や眠れないほどの激痛に襲われるが、湿布や鎮痛薬など対症療法しかない。スポーツ選手になる夢は、あきらめざるを得なかった。

 「FOPのことをたくさんの人に知ってほしい」。ブログに闘病生活をつづるようになると、絆が広がっていった。

 「いろんなことを我慢しているいっくんの笑顔が見たい」。立ち上がったのは小学校の友達だった。「いっくんおまもり隊」を結成。公民館で一緒に遊び、登校時にはかばんを持った。チャリティーライブや山本さんをモデルにした絵本も企画し、収益はiPS細胞研究への寄付に充てた。

 FOPは07年、国の難病に指定。山本さんの母親らが集めた署名が道を開いた。同級生の母親も加わり、08年にサポート団体「FOP明石」が発足。ブログで情報発信し、研究者らに山本さんの思いを伝える。

 インターネットで情報収集や発信を行う中で、山本さんは同じFOP患者と出会う。病気を理由に通学を拒否されたり、教師の体罰で骨化が進んだり。深い苦悩に触れた。「違う病気の子も、そばで守ってくれたら僕みたいに頑張れる」

 やがて、FOP明石は全ての難病の治癒を目的とするようになり、山本さんが代表に就いた。高校生らも思いに共感し、誕生日の12月14日に合わせて支援金を募る「193(いくみ)募金」に取り組む学校は15校以上に増えた。

 きっと「神さまからの宿題」が解け、難病がなくなる日は来る。支え合いがあるからこそ、山本さんは信じている。

■iPS細胞登場、脳死移植も開始

 「やっと5合目。普通の治療法となることがゴールだが、山頂までは急峻(きゅうしゅん)だ」

 2017年3月、他者の人工多能性幹細胞(iPS細胞)から作った網膜細胞を目に移植する世界初の手術を終えた理化学研究所(神戸市中央区)のプロジェクトリーダー高橋政代さん(57)は表情を引き締めた。

 さまざまな臓器に分化する万能細胞を移植し、病気やけがで失った組織や機能をよみがえらせる再生医療。その切り札として注目されるiPS細胞は、京都大教授の山中伸弥さん(56)=神戸大医学部出身=が07年、ヒトの皮膚から作製に成功した。同じ万能細胞でも、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)は受精卵を用いるため倫理面の批判も根強い。その障壁を取り除き得る画期的な成果で12年のノーベル医学生理学賞に輝いた。

 パーキンソン病、心不全、脊髄損傷…。iPS細胞の登場で、回復が難しかった疾患の治療に一筋の光が差した。高橋さんは異例のスピードで目の難病治療の臨床研究に着手。全面的に協力する山中さんは「神戸が世界をリードするiPS細胞の技術を世界に届けたい」と意気込む。拒絶反応が少ない細胞の大量培養や備蓄に取り組み、低コストで安定的な供給を目指す。

 高橋さんは、目の難病患者らの社会復帰支援も重視し、17年末にオープンした神戸アイセンターの企画に携わった。眼病の研究・診療に加え、ロービジョン(低視力)と呼ばれる視覚障害者らのリハビリテーションも担う国内初の施設だ。「医療と福祉をつなぐ場に」と視野を広げる。

 「夢の治療」への鍵と期待されるiPS細胞。一方で、移植後にがん化するリスクが皆無とは言えない。

 「再生医療はまだ黎明(れいめい)期」と語るのは、神戸医療産業都市推進機構・細胞療法研究開発センター長の川真田伸(かわまたしん)さん(62)。がん化に関わる物質の特定を進めるほか、安全性の評価基準や国際ガイドラインなどのルール作りに尽力してきた。

 「“世界初”という枕ことばは患者には関係ない。標準治療に仕上げることこそが大事。裏方とも言える仕事に誇りを感じている」と力を込め、こう展望する。「細胞の製造会社、検査機関、輸送機関など関連産業の複合体が、持続可能に発展するのが理想です」

     ◆

 平成時代には、脳死判定を受けた人からの臓器移植の道が開かれ、移植を待つ患者に希望の光が差した。

 1999年2月28日。脳死者からの提供を可能とした臓器移植法の施行後、初の心臓移植手術が大阪大病院で執り行われた。

 脳死判定基準などが未整備なまま心臓移植が行われ、移植医療に大きな影を落とした札幌医大の「和田移植」から31年。「移植を待ちながら多くの人が亡くなった。重たい扉が開いた瞬間だった」と、執刀した松田暉(ひかる)さん(77)=東宝塚さとう病院名誉院長=は振り返る。

 同法施行前から、心停止後に腎臓などを提供する移植は行われてきた。一方、脳死者からの移植は「脳死は人の死」とするか否かで意見が分かれ、法成立の道のりは険しかった。

 そのため、実現後も、提供者が生前に書面で意思表示するなど条件は厳しく、脳死者からの提供は年数件から十数件という年が続いた。2010年の法改正で家族の承諾でも臓器提供が可能となり、15歳未満の提供も認められた。提供件数も増加し、17年には77件に。現在までのトータルは580件を超えたが、欧米諸国と比べると「まだまだ少ない」のが現状だ。

 「法整備はされても社会に認められていない」。自身も腎臓移植を受け、脳死移植の普及に携わる兵庫県臓器移植推進協議会会長の川瀬喬(たかし)さん(81)は、01年に神戸であった世界移植者スポーツ大会を振り返る。

 大会には国内外の臓器提供者の家族45人が参加。海外の家族は堂々と振る舞う一方、日本の家族は「申し訳なさそうにしていた」。「移植への反発もあり、日本社会では胸を張って提供したと言えない」

 川瀬さんは今も県内の高校などで講演をするが、ある高校では学校長から「臓器移植を素晴らしい医療と言わないでほしい」とくぎを刺された。「する、しないは本人の自由。でも、せめて考える場は設けてもいいのではないか」

 臓器移植には倫理観や死生観だけではなく、医師や施設の負担軽減といった課題も山積する。法施行下で初めて心臓移植が行われて28日で20年。松田さんも川瀬さんも「現状がこれでは、引退するわけにはいかない」と口をそろえる。

(佐藤健介、篠原拓真)

2019/2/18

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