真剣な表情で原稿用紙に向かう
兵庫県内各地からこども震災学校に参加した小学生11人は、講師2人から話を聞いた後、感じたことや学んだことを文章にまとめました。その一部を抜粋して紹介します。
■備えることが大切 神戸市須磨区 西落合小学校6年 大西凜さん
大切だと思ったことは、「備える」ことです。地震が起きたとき、どうすれば良いか、頭の中では分かっていてもパニックになって、行動にうつせなくなることがあるそうです。それを少しでも防ぐために、避難訓練をしたり、あらためて自分の住んでいる地域をみまわしたりすると良いと思います。
■命は自分で守る 丹波篠山市 味間小学校5年 降矢花珠さん
学校で阪神・淡路大震災を勉強したけど、今日この勉強をしてくわしくわかりました。地震がおきたらたいへんだとわかりました。わたしは、地震をたいけんしていないけど、今日ここにきて、いろいろ地震をしれて勉強になりました。今日、一番覚えて帰りたいのは「自分の命は自分で守る」ということです。このさきもっとしりたいです。
■減災、毎日意識する 神戸市垂水区 神戸大付属小学校4年 鶴井悠貴さん
ぼくの両親は阪神・淡路大震災と東日本大震災の両方ひさいしています。だから家には防災リュックと簡いトイレがあります。ぼくは地震を経験したことがないですが、今日の話を聞いて、減災はできるということを学び、また自分の命は自分で守るという言葉を知り、これから毎日意識しながら生活していきたいと思いました。
■非常用袋用意したい 神戸市須磨区 西須磨小学校2年 川達樹さん
30ねんまえのじしんであんなになくなった人がいるのは、はじめてしりました。まだひじょうようぶくろをよういしてないので、かえったらしたいです。
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■「語り部の難しさは?」「消防団の現状は?」
こども震災学校の夏休み特別編では、記者や子どもたちが米山正幸さんと未来さんに質問したり、感想を伝えたりする時間を設けました。
-阪神・淡路大震災から30年たち、消防団の数や活動はどうなっていますか。
正幸さん どこの地域とも若い世代が少なく、なり手が減っています。消防団員の定員も減っています。
-消防団員が減り、高齢者の割合が増える中で、どうやったら助け合える町になりますか。
正幸さん 30年前の震災がいま起こったら、果たしてあれだけの人を助けられるか。震災後、富島の町は区画整理が進み、ハード面では災害に強い町になりました。でも、地域コミュニティーは薄れて、ソフト面では災害に弱い町になったんじゃないか。夏祭りなど、住民同士が顔を合わせる機会を増やすのが一番の(防災の)訓練になると思い、取り組んでいます。
-震災の記憶がない中で語り部をする難しさや悩みはありますか。
未来さん 私の語り部活動はオンラインのライブ配信からスタートしました。「しんどいなあ」と思ったのは、ネット上でのひぼう中傷です。私自身、当時の記憶がないので、「記憶がない人の話にどれだけの信ぴょう性があるんや」とか、言葉のやいばみたいなものが飛んでくることがありました。語る資格があるんだろうかと悩みました。
-そんな中で語り部を続けるのはなぜですか。
未来さん 経験や記憶のある人が全員いなくなっちゃったら、そこで生まれた教訓が途絶えてしまいます。震災で生まれた教訓が、その後の災害で生かされなかった。伝わりきってなかったから、その後の災害でたくさんの被害者が出てしまいました。
語り部の話を聞いて、いざという時に命が助かるということはあると思っています。そのきっかけをゼロにしたくない。少しでも命が助かる可能性を作りたいと考えています。