親しみやすい言葉づかいで、日本を代表する詩人として知られた谷川俊太郎(たにかわしゅんたろう)さんが昨年11月13日、92歳(さい)で亡(な)くなりました。学校の教科書にも多くの詩が採用(さいよう)され、日本語の奥深(おくぶか)さや楽しさを多くの人たちに伝えました。1931年に東京で生まれ、中学生の時には戦争のため、京都に疎開(そかい)したこともありました。10代で詩作を始め、20歳(さい)ではじめての詩集「二十億光年の孤独(こどく)」を発表すると、たちまち注目されました。
親しみやすい言葉づかいで、日本を代表する詩人として知られた谷川俊太郎(たにかわしゅんたろう)さんが昨年11月13日、92歳(さい)で亡(な)くなりました。学校の教科書にも多くの詩が採用(さいよう)され、日本語の奥深(おくぶか)さや楽しさを多くの人たちに伝えました。1931年に東京で生まれ、中学生の時には戦争のため、京都に疎開(そかい)したこともありました。10代で詩作を始め、20歳(さい)ではじめての詩集「二十億光年の孤独(こどく)」を発表すると、たちまち注目されました。