かつて都内に展開していた牛丼太郎。2012年の倒産後にリスタートした丼太郎も今や残り1店舗に(隼のぶをさん提供)
かつて都内に展開していた牛丼太郎。2012年の倒産後にリスタートした丼太郎も今や残り1店舗に(隼のぶをさん提供)

かつて存在した牛丼チェーンの"最後の一店舗"がSNS上で大きな注目を集めている。

「かつて東京都23区内に存在した牛丼チェーン店『牛丼太郎』 1983年に設立されてから2012年に倒産するまで、都内各所に店がありました。 その最後の生き残りが文京区茗荷谷(みょうがだに)駅付近に残っています。」

とその模様を紹介したのは漫画家の隼のぶをさん(@HYBSNBW)。

隼さんが紹介したのは丼太郎・茗荷谷店。1983年に設立され、「牛丼200円」といった徹底した低価格路線で店舗数を伸ばすも2012年に倒産した牛丼太郎の後継とされる店舗だ。以前は代々木店も存在したが2015年に閉店。今ではここ茗荷谷店だけがかつての栄光の面影をとどめているのだ。

隼さんに話を聞いた。

ーー訪れた経緯は?

隼:絶滅が危惧される古いチェーン店や昭和から続いてるような飲食店巡りが普段から好きで、牛丼太郎の存在は以前から存じあげておりました。牛丼のチェーン店といえば、大手チェーン店しか知らなかった私にとって牛丼太郎は興味深いチェーン店であったものの、関西在住の私は東京にある店舗はなかなか遠く訪れることができずにいました。

私の描いた漫画が講談社の「ちばてつや賞」を受賞し、講談社本社にて行われる式に参加するため東京を訪れる機会が生まれました。講談社本社は茗荷谷店と同じく東京都文京区に位置するため、授賞式に向かう道中に丼太郎を訪れました。

ーー利用した感想は?

隼:念願の丼太郎の牛丼は一言でいうと「ザ・ジャンクフード!」です。牛肉はパサパサしており独特の甘味を帯びていました。他の大手チェーン店とは全く異なる味だと思います。包み隠さず申し上げるなら、可もなく不可もない味です。しかし一度食べ始めてみると止まらない、また食べに来たくなる不思議な味でした。

店内の雰囲気は、まるで時が止まっているようで「平成初期の牛丼屋」という感じでした。夕方6時半頃の店内は東京のラジオ放送が流れており、その傍らベテランの店員さんが黙々と注文をさばいていました。常連さんと思われるお客さんもたくさん訪れており、「今でもこの地域では深く根付いている」と実感しました。

ーー投稿に大きな反響がありました。

隼:多くの方々からの牛丼太郎の思い出やエピソードをいただき、驚きとともにうれしく思います。 低価格路線の牛丼太郎が多くの方々にとって、青春時代やお金のない新社会人時代を語る上において、欠かせない存在なのだと思いました。 また、そういったお話を聞けて、たとえ倒産してしまった会社といえど誰かの人生にとって本当に大事な店だったのだと実感しました。 そして今回の私の投稿で牛丼太郎が丼太郎という形でまだ存在していることに驚かれている方のコメントもたくさんいただきました。 かつて牛丼太郎を利用されていた方々も、牛丼太郎を利用したことのない方々もぜひ一度茗荷谷店を訪れてみてほしいと思います。 店に入るとそこは、我々にとって懐かしの平成時代です。

◇ ◇

SNSユーザー達から

「野方の駅前にあっていつも2つテイクアウトして独りで食べてたw」
「『相棒』の伊丹刑事フィーチャー回に出てくる牛丼屋のロケ地はここです」
「ランプ亭も昔あったのに無くなりましたが、あそこの牛丼が1番美味しいって言ってる人多かったです。 これ読んで丼太郎にも行きたくなりました。」
「以前は中野店によく行ってました。今は半年に1回くらい、茗荷谷に行きます。 当時、似たような都内牛丼店の『牛友チェーン』にもよく行ってました。その継承店の『牛八』大井町店にも年一ぐらいで行きたくなります。」

など数々の驚きの声が寄せられた今回の投稿。ご興味ある方はぜひ丼太郎・茗荷谷店に足を運んでいただきたい。

なお隼さんは以前Xで、かつて西日本に展開していたハンバーガーチェーン店「バーガーシティ」についても紹介している。こちらも今回の投稿同様にわびさびを感じる名投稿なので、ご興味ある方は要チェックだ。

(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)