『大長編 タローマン 万博大爆発』の主役・タローマンと藤井亮監督(撮影:磯部正和)
『大長編 タローマン 万博大爆発』の主役・タローマンと藤井亮監督(撮影:磯部正和)

 NHK Eテレの深夜の5分番組「TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇」が、SNSでの大反響を経て『大長編 タローマン 万博大爆発』として長編映画化。誰も想像しなかった奇跡の裏には、どこまでもストイックに「でたらめ」を追求する藤井亮監督の執念があった。予想外のプレッシャー、譲れないこだわり、そして創作の源泉とは。常識を破壊する怪作はいかにして生まれたのか、その核心に迫る。

■想像を超えた「でたらめ」への熱狂

 深夜の片隅で産声を上げた、わずか5分の実験的ドラマ「TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇」は、1970年代に放送された巨大ヒーロー物の特撮作品の現存映像という体裁のもと、モキュメンタリーとして放送されたドラマだ。

 それがこれほど大きなうねりを生むとは、誰が予想できただろうか。展覧会の企画として始まった物語は、SNSの波に乗り、人々の「存在しない思い出」を呼び覚ます社会現象へと発展していく。その熱狂は、仕掛け人である監督自身の想像すら、遥かに超えるものだった。

 「まさか長編映画化されるなんて一切想像していませんでした。本当に、元々は深夜の5分番組でしたので、こんなに広がっていくとは全く思っていなかったです。面白がられ方として、『存在しない思い出』を語ってもらうなど、そうしたかたちで乗っかってくれる人がいたら面白いだろうなとは思っていました。しかし、その規模が私の想像していたよりもずっと大きかったんです」

 放送が回を重ねるうち、ゲームクリエイターの小島秀夫氏や脚本家の野木亜紀子氏といった著名人も作品に言及。思いもよらない人々を巻き込み、熱狂は加速していく。そもそも、数多の名作が存在する岡本太郎という題材で、なぜ「特撮×モキュメンタリー」という奇策を選んだのか。

 「岡本太郎を題材にしたドラマやドキュメンタリーは名作がたくさんあり、その中で勝負するのは難しいだろうな、と。5分という尺で何ができるかと考えた時に、先に思いついたのは特撮の方でした。『太陽の塔』を見て『これはもう怪獣だな』と。そこを軸に、自分の得意なモキュメンタリーを足していった感じです」

 ワンアイデアで走り抜けられた5分間の連続。だが、それが「映画化」という次のステージに立った時、監督自身も戸惑いを隠せなかったという。

 「映画化のお話をいただいた時、最初は長尺のイメージはありませんでしたね。『こうすれば面白くなるかもしれない』というアイデアは瞬間的に思いついたのですが、それを長尺として成立する構造に作り上げていくのは初めての経験だったので、手探りで進めていった感じです」

 『大長編 タローマン 万博大爆発』と名付けられた長編映画で描かれる2025年。しかし、現在の2025年ではなく、「1970年代頃に想像されていた未来像」としての2025年(昭和100年)。 そこから1970年の万博を消滅させるためにやってきた奇獣たちに、タローマンが立ち向かうというでたらめな物語だ。

 「よりどころになったのは、1970年代の児童書の世界。小松崎茂さんなどが描いた未来の想像図、当時の子供たちがワクワクしながら読んでいた未来の絵を実写化できたら面白いんじゃないか、と。それが今回の世界観を作る上での大きな拠り所になりました」

■岡本太郎の言葉を胸に、「危険な道」を突き進む

 105分の「でたらめ」。それを支えたのは、狂気的とも言えるストイックな創作姿勢だった。監督は本作の全カットの絵コンテを自ら描き上げ、それを元に撮影に臨んだという。なぜ、そこまで徹底するのか。そのこだわりは、過去の苦い経験に根差していた。

 「絶対に絵コンテは描いていこうと決めていました。以前、脚本だけでやってほしいと言われて制作した作品があったのですが、あまり上手くいかなかった。構図やレイアウトに凝りたいタイプなので、まず絵コンテで自分が一番面白いと思う絵を作り、そこからさらに良くしていく進め方をしないと、ありきたりなアングルばかりになって後悔するんです。だから、どんなにしんどくても、まず絵コンテをしっかりと描いてから作ると決めています」

 しかし、本作最大の挑戦は技術的な困難さ以上に、その核心にあった。「でたらめ」でありながら、観客を飽きさせない物語をいかに両立させるか。安易な道にも、独りよがりな表現にも逃げず、その狭間で監督はもがき続けた。

 「一番難しいのは、『長いデタラメ』は見ていられない、という点です。5分や10分だからこそ見られるのであって、2時間続くと人間は耐えられない。だから、本作も『でたらめ』という要素を保ちつつ、ちゃんと大きなストーリーの軸を立てなければならない。でも、やはり『でたらめ』にはしたい。どちらに進むのが正解なのか、ずっと悩みながら作っていました」

 迷った時に立ち返ったのは、岡本太郎の言葉だったという。常識と闘い、自らの道を切り拓いた芸術家の魂が、制作現場の指針となっていた。

 「作っている間は、ずっと岡本太郎の言葉に引っ張られ続けていた感覚です。迷ったら彼の言葉に立ち戻る、というような。『危険な道を行け』という言葉ではありませんが、そういう意識はありました。きちんとまとめればまとめるほど、バジェットが全く違う大作ヒーローものには勝てません。かといって、やけっぱちなデタラメを撮っても見ていられない作品になる。そのせめぎ合いをずっと続けていました」

 膨らみ続ける期待と反響は、そのまま巨大なプレッシャーとなって監督にのしかかる。無我夢中で走り抜けた制作期間も、不安が消えることはなかった。

 「本当に、皆さんが見てくれるだろうか、面白がってくれるだろうか、ということはずっと心配でした。その不安な期間が今回は特に長かったので、そのストレスはすごかったです。岡本太郎は『自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ』と言いますが、僕はそうはなれない。撮影が終わってからもずっと、どうしたら見てもらえるかをやり続けていて、落ち着きませんね」

 岡本太郎という強烈な太陽に導かれながらも、決してその模倣にはならない。あくまで自らの表現を、自らのやり方で貫き通す。その孤高の精神こそが、この前代未聞の作品を生み出した原動力なのだ。

 「岡本太郎の考え方や思想にはすごく共感しますが、自分自身が彼になりたいということではありません。それは模倣でしかなく、それこそ岡本太郎が一番嫌がることだと思いますので。自分が面白いと思うことをやりたい、という気持ちです」

 藤井監督が極限まで突き詰めていった“危険な道”。岡本太郎の名言「相手に伝わらなくてもいいんだと思って、純粋さを貫けば、逆にその純粋さは伝わるんだ」を地で行っているような作品に仕上がった。

 「その言葉はもちろん知っています。まさにその通りなのかもしれませんが、自分自身が純粋な気持ちでやっているのかは分からなくなっていました。しんどい、寝たい、帰りたい、とずっと思っていましたから(笑)。それでも、デタラメで面白いものを作るということだけはぶらさずにやっていきたい、という思いはありました。もしそれが、見てくださった方に伝わっているのだとしたら、すごく嬉しいです」

【藤井亮監督プロフィール】
ふじい・りょう 1979年生まれ。愛知県出身。映像作家・クリエイティブディレクター。武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン科卒。
株式会社豪勢スタジオを設立し、考え抜かれた『くだらないアイデア』でつくられた遊び心あふれるコンテンツで数々の話題を生み出している。アニメーションなどの多くの工程を自ら行うことでイメージのブレのない強い表現を実現。CM、MV、番組制作やテレビドラマの脚本・監督、企画展示など幅広いクリエイションを行っている。

(まいどなニュース特約・磯部 正和)