40年前の小学生が夏休みの自由研究で記した伝説のマタギのインタビューがSNS上で大きな注目を集めている。
「約40年前、小学5年生の夏休みに『阿仁マタギの研究』をやった。当時、聞き取りをさせていただいた打当マタギのシカリ(頭領)の鈴木さんが『クマがいない』とおっしゃっていた記憶があり、久々に読み返したところ、やはり『山に動物が少ない』『クマを撃ったことがある人は少ない』と記録されていた。」
と件の自由研究を紹介したのは工芸ギャラリー「小松クラフトスペース」店主で秋田県の郷土史研究家、小松和彦さん(@Komatsucraft)。
小松さんがインタビューしたのは、秋田県阿仁町(現・北秋田市)でマタギの頭領を務め、熊の眉間を一撃で射貫く姿から「頭撃ちの松」の異名を持った鈴木松治さん(2005年没)。「松治さんは、マタギの文化が消えてなくなるのを心配していました。村には若い人も少なくなり、山の木もたくさん切られ動物たちも少なくなってきたからです」と68歳の老境に入った鈴木さんの心境を聞き出したこのインタビューは、今となっては非常に貴重と言えるだろう。
小松さんにお話を聞いた。
ーー当時、このテーマに興味を持ち、鈴木さんにインタビューをされた経緯をお聞かせください。
小松:私は子供の頃から考古学、特に縄文時代に興味がありました。縄文人の生業を調べる過程で、現在もクマやウサギを狩猟するマタギの人々が地元秋田県の山間部に暮らしていることを知りました。このテーマを夏休みの自由研究として書籍で調べているうちに、実際のマタギの方にお話を聞きたいと思い、阿仁の打当マタギのシカリ(頭領)であった鈴木松治さんに直接お話をうかがいにいきました。松治さんの名前はテレビのドキュメンタリーか書籍で知っていたと思います。
ーー当時を振り返って。
小松:松治さんは「クマ撃ち名人」として有名だったため、当初は強面な方をイメージしていました。しかし、実際にお会いした松治さんは、想像とは対照的なとても穏やかで知的な印象の方でした。
小学5年生の私のつたない質問にも、狩りの作法、昔と今の狩りの違いなど、大変丁寧に答えてくださいました。特に印象的だったのは、マタギは獲物を「山の神様の授かりもの」と捉え、「弱っているクマや親子のクマは獲らない」というルールがあるという話です。マタギは一方的に獲るのではなく、クマと共生しながら生きてきたのだと、深く感銘を受けました。
一方で、松治さんは、山には獲物となる動物が減り、村から人が流出し始めていることに触れ、マタギ文化が未来へ継承できなくなるのではないかという危機感を抱いていらっしゃいました。
ーー投稿に大きな反響がありました。
小松:この投稿に多くの反響をいただいておりますが、私自身もこの記録の持つ重みに驚いています。特に、秋田市の中心部にある千秋公園にクマが居座るという現在の状況は、松治さんにインタビューさせていただいた約40年前には考えられない事態です。
当時121万人であった秋田県の人口は、現在87万人と、実に3割近くも減少しています。この人間活動の衰退とクマの生息域拡大、生息数増加が相まって、街中へのクマの出没という、現代の深刻な問題を引き起こしていると言えるでしょう。人とクマが再び適度な距離感を保ちながら共生できる社会を取り戻す必要性を強く感じています。
◇ ◇
SNSユーザー達から
「まつじさん!マタギの神様!」
「凄いですね 40年経って、国の植林計画の失敗により放置森が増え、クマも増えたということも考えられますね。いずれにしてもマタギが少ないのは深刻ですよね」
「現状考察のひとつに小学生の自由研究が役立つなんてスゴい」
「マタギを調べる小学生、渋い、渋すぎる…」
など数々の驚きの声が寄せられた今回の投稿。先人の紡いだ知恵や文化を活かした自然との共生が実現するよう願いたい。
なお今回の話題を提供してくれた小松さんは現在、秋田魁新報電子版で秋田の郷土史を紹介するコラム『新あきたよもやま』を連載している。ご興味ある方はぜひチェックしていただきたい。
小松和彦さんプロフィール
秋田駅西口にある工芸ギャラリー・小松クラフトスペースの3代目店主。秋田県の郷土史研究家としても活動。
(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)

























