50代のAさんは子どもを授かることはなかったものの、夫と2人で仲睦まじく暮らしていました。夫には前妻との間に成人した子どもがいるものの、前妻やその子どもとも特に争うことはありませんでした。しかしある日、夫が急逝したことによりAさんの人生は一変します。
暗い気持ちのままAさんは夫の遺品を整理していると、スマートフォンに保存された未送信の動画ファイルを発見しました。それは夫が自身の最期の意思を遺そうとした『動画遺言』とも呼べるものでした。夫が亡くなるわずか数日前に撮影されたその動画を、Aさんが震える指で再生すると、そこには病による憔悴が見て取れる夫の姿が映し出されました。
画面の中の夫はカメラを真っ直ぐに見つめ、長年連れ添った妻であるAさんに全財産を譲りたいという願いを明言。さらに前妻との間の子どもたちに向けて、後に残されるAさんを実の母親のように支えてほしいという切実な想いまでが語られていました。
夫の深い愛情と覚悟に触れ、Aさんは溢れる涙を止めることができませんでした。しかし、この動画の存在を知った前妻の子どもたちは、動画による意思表示など法的な遺言書としては無効であると主張し、法律で定められた権利としての遺産分割を強硬に求めてきたのです。
この動画が法的な効力を持つのか、北摂パートナーズ行政書士事務所の松尾武将さんに聞きました。
■動画は遺言としては認められない
ー動画で撮影された遺言は、法的に有効な「遺言」として認められますか?
残念ながら、動画や録音による遺言は、日本の民法において法的な効力を持つ「遺言書」としては認められません。
民法では、第960条で「遺言は、この法律に定める方式に従わなければ、することができない」と定めています。遺言の方式は厳格に定められており、普通方式として「自筆証書遺言」「公正証書遺言」「秘密証書遺言」という書面での作成が必須となります。
たとえご本人がはっきりとした口調で語り、本人の姿が映っていたとしても、動画ファイルは法的な遺言としての要件(全文の自書、押印など遺言の種類によって異なる、それぞれが有効に成立するための必要な条件)を満たさないため、財産上の権利などを移転する力は持ちません。
ー動画の遺言に法的な効力がないとしても、故人の意思を尊重する材料として、どのような意味を持ちますか?
法的な拘束力が働かないため、「故人の最終的な意思(遺志)」がどこにあるかを明らかにする証拠にとどまります。
遺産分割協議では、相続人全員の合意があれば、法定相続分とは異なる分け方をすることが可能です。動画によって「妻に全財産を」という故人の強い想いが可視化されることで、他の相続人の心情に訴えかけ、Aさんに有利な形での合意形成を促す材料になる可能性はありえます。
ー他の相続人が動画の内容を無視して法定相続分を主張してきた場合、法的に対抗する術はありますか?
動画のみを根拠にして、相手の法定相続分の主張を法的に退けることは極めて困難です。相手方が「法的な遺言がない以上、民法通りの権利(法定相続分)を主張する」という態度を崩さない場合、動画の内容の実現を強制することはできません。
ただし、Aさんが夫の看病や事業の手伝いなどに特別に尽力していた行為があり、それが夫の財産の維持または増加をもたらしたのであれば、「寄与分(きよぶん)」を主張して、ご自身の取り分を法定相続分より増やす交渉は可能です。その際、動画内の「妻には感謝している、世話になった」という発言が、寄与分を裏付ける補強材料のひとつとして機能することは考えられます。
◆松尾武将(まつお・たけまさ)行政書士
長崎県諫早市出身 大阪府茨木市にて開業。前職の信託銀行員時代に1,000件以上の遺言・相続手続きを担当し、3,000件以上の相談に携わる。2022年に北摂パートナーズ行政書士事務所を開所し、相続手続き、遺言支援、ペットの相続問題に携わるとともに、同じ道を目指す行政書士の指導にも尽力している。
(まいどなニュース特約・八幡 康二)























