総理府は首相官邸と道路を隔てて向かい合う。三階に、官邸と各省庁をつなぐ内閣内政審議室がある。大蔵出身の藤井威室長は、話が復興の将来担保になったとき、急に語気を強めた。
「担保なんてないよ。いかなる政策でもあり得ない。あまりにも国のシステムを信用していない議論だ。政府の熱は冷めていない」
「例えば」と同室長は、区画整理事業を出した。「いくら計画が遅れても、事業採択をしないことは、あり得ない。大蔵や各省庁に、もの申す機関もある。それがウチであり、復興本部事務局だ」
地元の思いはまた別だった。政府予算が決まった二十五日、兵庫県庁で会見した今井和幸副知事は「評価したい」としながらも、今後の見通しを問われると、言葉は揺れた。
「計画の対象は、今後も(予算)措置されるものと思っている」「十年計画を円滑に進めるため要望を重ねたい」
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県が、震災直後から求めていたのは、その保障ともいえる特別法だった。
井筒紳一郎・県審議員のファイルには、貝原知事の特命で、法制係長らとつくった試案が残っている。
「阪神・淡路震災復興特別措置法案要綱」と表書きされ、A4判、六ページ。「三の一」には、こう書かれている。
「関係府県知事は、指定地域にかかる震災復興計画を作成し、内閣総理大臣の承認を申請する」
地元主導の復興を明確にしたうえで、財源や税制面にも触れた。末尾の別表で事業別の補助率かさ上げを細かく示し、復旧だけでなく、復興事業の大半で補助率四分の三という破格の国費を求めた。
だが、担保を求めたことが中央の反発を招く。震災の冬から春、そして夏へ。夏の初め、各省庁に陳情を続けていた辻寛・県理事は中央官僚の忠告を耳にした。
「兵庫県は、霞が関中に法案を持ち回り、復興の手法を指示している、といわれている。復興は、官官(つかさつかさ)が、責任を持って進めるのだから、もうやめた方がいい」
政府の阪神・淡路復興委員会(下河辺淳委員長)でも、貝原知事の再三の要望は、正面から取り上げられないまま終わった。
下河辺委員長は「復興には、まず走ることが大事だ。だから補正予算で対応してきた。補正は法に合わない。特例法が特例をつぶすことになってしまう。抽象的なものではかえってブレーキになる」と話した。
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復興計画は十年の長丁場である。県計画に盛り込まれた事業は六百六十。総事業費十七兆円にのぼる。
景気対策の追い風も吹いた九五年度秋の補正予算で、住宅建設、街づくりなどは二、三年分の事業が確保された。その意味では、地元は「事業の消化努力中」である。
貝原知事は「事業数ではすでに七割は着手した。十七兆の額でみるほど難しいことではない」とも説明する。
だが、補正が今後あるのか、景気動向はどうなるのか。法的な計画の裏付けがない中で、単年度ごと、省庁ごとの陳情が続く。
知事は話した。「計画をどうオーソライズするか、財政措置をどうするか。特別法でいえば、阪神大震災の法だけでいいか、という気もしている。国と地方の財政の仕組みの中で、また何か起きたときのことを考えれば、現状でいいのだろうか」
1995/12/30