SPが警護する視察団には、政権の主な顔ぶれがそろった。
加藤紘一・自民党幹事長 久保亘・社会党書記長
鳩山由紀夫・さきがけ代 表幹事
森喜朗・建設、森井忠良・厚生ら震災関係四大臣も加わっていた。
大蔵原案内示を四日後に控えた十二月十六日、与党阪神・淡路大震災対策本部(本部長・久保書記長)が被災地入りし、ポートアイランドの仮設住宅から長田の菅原市場を回った。
「コミュニティーづくりは進んでいますか」
「自治会はできました。しかし、賃貸住宅は高く、仮設から転居できない。何とかお願いします」
視察の後、貝原兵庫県知事、笹山神戸市長、牧神戸商工会議所会頭らの地元要望会が市内で開かれた。
「個人補償は許されない状況だが、被災者の生活支援を、政府・与党で、もう一回考えていただけないか」。貝原知事は真っ先に、先行きの見えない生活支援策を訴えた。が、与党側から明確な答えはなかった。
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与党対策本部は、震災当日に発足した。与党の機関決定の場だが、具体的には、下部組織の与党震災復興プロジェクト(座長・村岡兼造自民党国対委員長)があたってきた。
予算前の視察は、十一日の与党責任者会議で、急きょ決まる。「本部として長く動いていない。予算編成もあり、関係者から事情を聴いてはどうか」との久保発言がきっかけだった。
内示直前に、形を整えるかのようにあわただしさを増した政治の動き。十二日には、新進党も地震災害対策議員連盟(石井一会長)を発足させている。
十八日、東京都内のホテルで開かれた阪神・淡路大震災復興推進決起大会。地元は「主眼は自民党、社会党本部、議員会館」と確認し、四グループに分かれて、攻勢をかけた。
牧会頭、溜水義久県副知事らは、自民党本部を訪ねた。
約束を取っていた山崎拓・政調会長も廊下で会えただけだった。経済復興とともに、生活支援を求める牧会頭らに、山崎会長は「与党で検討することになっている」と、あわただしく切り上げた。
村岡座長は、議員会館事務所で待っていた。「個別予算は各省庁にまたがる。被災地の事業は、重点的に採択するよう働き掛ける。むげにはしない」。こう言いながらも、生活支援には慎重になった。
「義援金の配分が少ないことはわかっている。しかし、人数が多い。試算では一兆七千億必要だ。駄目だとか、OKではなく、勉強しないと」
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八月の内閣改造まで、その任にあった小里貞利・元震災担当相は「赤字国債でがれき処理を賄うなど、復旧に全力を注いできた」と言う。
改造で空気が変わった、と神戸市会の吉本泰男復興委員長は受け止めている。「小里・震災担当、野中・自治、亀井・運輸各相ら尽力してくれた大臣が一挙に代わった。政治が大蔵包囲網をつくってほしかったんだが」
しかし、復旧から復興へと、壁は段違いに厚くなる。十九日の与党対策本部総会。各省庁官房長らから復興事業を聞いた与党幹部は話した。
「大蔵が予算編成権を握り、政治が入り込めない。生活再建は仕組みがない。考えなければならないが、今の制度では難しい」
「官」の優位を認めるその言葉は、体制の変革にちゅうちょする「政治」の現状を示していた。
1995/12/28