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(10)指針手探り自治体協力 全国の派遣職員も最前線担う
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 正月明けの五日、六人の合宿生活が再び始まった。

 淡路島・北淡町の自然休養村センター。海岸部から車で十分ほど入ると、ブドウ畑が広がる中に、施設がぽつんとある。六人が、自衛隊と入れ替わりの格好で、現地入りしたのは昨年四月だった。

 東京都建設局区画整理部の山本昇さん(48)は入庁以来、大半を区画整理畑で過ごした。今は「北淡町都市整備事務所整備課 課長補佐」の名刺を持つ。

 「被災地へ街づくりの専門職員を派遣してほしい」。自治、建設省を通じ都庁に要請があった時、都は公募した。約三百人の同部でもベテランは少ない。「いずれ関東にも大地震は来る。その時のために」。山本さんは手を挙げていた。

 派遣は一応、一年更新。区画整理事業の性格上、それで済まないのは本人が一番分かっていた。初の単身赴任。「三年は覚悟している」と山本さんは言う。

 名古屋市都市計画部街路計画課にいた宮部晃さん(40)は「うちは一本釣り」と苦笑いする。戦災復興以来、区画整理を進めてきた同市だが、経験は三年足らず。派遣前、あらためて一週間のレクチャーを受けた。二人の子どもは小学校一年と三年。「なぜお父さんが行かんといかんの」と言った。

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 震源地に近い北淡町は、中心地の家屋が倒壊、六百世帯を対象に区画整理計画が決まった。事業予算は年間町予算の三倍の百六十億円。区画整理自体、町始まって以来で、二百人の職員に経験者はゼロだった。

 山本さんらが詰める町都市整備事務所は二十人のうち五人が東京都、名古屋、高松市の派遣。地元交渉も、彼らが前面に立つ。島に入った時、すでに十五メートル道路は計画決定されていた。その道のイメージさえ、地元では理解されにくい。高齢者が多く、土地への執着は強い。

 「行政も、もう少し柔軟な対応を検討すべきではないか」。自問自答する山本さんだが、町内では厳しい目にさらされる。

 震災から昨年三月までの自治体応援は、最大一日四千人。延べ十九万六千人に上った。四月以降、自治省を中心に建設、農水省などが仲介し、被災自治体が要望する職種別に全国に要請した。

 昨年末現在、百三十自治体の三百二十人が、派遣されている。単身赴任率は近隣を除き八割に上る。七十一人がいる芦屋市は、半壊の再開発ビルを補修し、一戸に二、三人、計五十二人が生活する。四十人の神戸市は、三十八人がビジネスホテル暮らしを続ける。

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 「八年度の被災地への人的支援について」。昨年暮れ、震災二年目に向けた派遣要請文が自治省から全国自治体に流された。

 発信元の同省公務員課の永井克典・公務員第一係長は「全国でこれだけ大規模、長期の自治体協力は例がない。すべて手探りだった」と言う。関係ファイルはすでに七冊。焦点は、四月以降の派遣更新に移った。

 「派遣側も、いつまでも人を出す余裕はない。しかし、被災地の事業はこれからが正念場。来年度は現態勢維持の方向で考えたい。街づくりに必要な専門知識や技術を地元職員へどう引き継ぐか、最大の課題だ」と永井係長。

 大震災で問われた自治体の力量と限界。自治体協力の在り方について、まだ定かな指針はない。派遣継続に対する全国の回答は一月末、自治省で集約される。

1996/1/7
 

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