連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

記事特集

  • 印刷

 あしなが育英会(東京)は十二日、阪神・淡路大震災で家族を亡くした遺児らを対象に、震災後十年間でどのような心の変化が起きたかを聞き取り調査した結果を発表した。親の死に責任を感じている遺児が多い一方で、就職や結婚などを機に家族の死を受け入れられるようになったケースもみられた。調査を担当した副田義也・金城学院大教授(社会学)は「大規模災害の遺児らの追跡調査は世界的にも例がなく、貴重なデータになる」としている。

 同育英会と筑波大の樽川典子助教授(同)らのグループが昨年七-十一月、親を失った遺児十九人とその保護者三十四人の計五十三人に聞き取り調査した。

 同会は一九九五、九六、〇〇年にも遺児の保護者を対象に調査したが、遺児から直接聞き取りをしたのは初めて。

 対象になった遺児は震災当時七-二十一歳。一緒に暮らしていながら、家族の中で生死が分かれたことに負い目を感じ、「自分に責任がある」と責め続けたケースが目立った。ある遺児は、母親が自分の弁当を作っているときに家の下敷きになったことに、自責の念を感じて苦しんだという。また、遺児である自分を受容できず、長期間、周囲に父母の死を隠してきた人もいた。

 一方、就職や結婚、出産など人生の転機をきっかけに、親の死と正面から向き合えるようになっており、「精神的な成熟が死の受容には必要」と分析した。

 また、保護者についても、ボランティアに熱心だった妻の姿を追い、ヘルパー活動をすることで妻の死を受け入れた男性など、死を受け入れる方法やその後の人生の歩みはさまざまだった。多くの遺児や遺族は、亡くなった人の存在を今も身近に感じていた。

 樽川助教授は「喪失感の大きさは想像以上。ほとんどの人がこの十年を死者とともに生きていた。社会が震災の記憶を風化させないことが、遺児や遺族の精神的な支えになる」と話している。

夫の存在が不安解消 25歳女性
 母子家庭の母を失い、「私のせい」と自分を責め続ける。23歳で結婚、理解してくれる夫の存在で不安と孤独が解消される。昨年出産。「子どもが犠牲になるぐらいなら自分の命をあげてもいい」と思うようになった。

隠し続けた父親の死 20歳男性
 「1人でも欠けたら普通の家族ではない」と思い、父の死を友人に隠し続けた。高校生のとき遺児の集まりに参加、「多くの経験をした自分は弱者じゃない」と実感。父と住んでいた場所は「神聖で、一番落ち着く」と今も時々、通う。

墓で亡き家族と対話 25歳女性
 両親と妹を失い、自分だけ生き残ったことに「申し訳ない。代われるものなら代わりたい」と今も感じている。定期的に墓参りをし、墓石を磨きながら心境を報告する。家族との対話で「心が軽くなる」と話す。

2005/1/13
 

天気(9月6日)

  • 33℃
  • 25℃
  • 10%

  • 34℃
  • 22℃
  • 10%

  • 35℃
  • 25℃
  • 10%

  • 36℃
  • ---℃
  • 10%

お知らせ