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碑は語る 震災10年

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「大震災の記憶」「これからも安心して暮らせるまちを」。刻まれた言葉が復興への決意を伝える=伊丹市西台1、阪急伊丹駅前
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「大震災の記憶」「これからも安心して暮らせるまちを」。刻まれた言葉が復興への決意を伝える=伊丹市西台1、阪急伊丹駅前

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「大震災の記憶」「これからも安心して暮らせるまちを」。刻まれた言葉が復興への決意を伝える=伊丹市西台1、阪急伊丹駅前

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 夕暮れのバスターミナルは、家路を急ぐサラリーマンや買い物客でごった返している。四年前、ようやく再建なった阪急伊丹駅前のターミナルビル横に、黒御影石の記念碑がひっそりと立っていた。

 「亡くなった人二十三人、負傷した人二千七百余名(中略)阪急伊丹駅も崩落しました…」。碑は惨状を今に伝える。

 倒壊した駅ビルと、曲がりくねった高架上の線路で倒れた電車の姿は、みぞうの被害を伝える被災地の象徴となった。多くの人の記憶に残るあの駅ビルには、一人の犠牲者がいた。

 兵庫県警伊丹署の辻恭孝警部補=当時(50)。宿直で駅ビル内の交番にいた辻さんは、妻と息子を残し、この世を去った。

 その後、家族は母の実家のある広島市へ。幼いころから父の背中を見て育った長男の昌直さん(33)は、父の死をすぐには受け入れられなかった。警察官にあこがれ、父と同じ制服を着るのが夢だった。

 「父もきっと喜んでくれる」。一年半後、息子は遺志を継いだ。現在、広島県警に勤務する昌直さんは「愚痴一つこぼさない父親だった。死はあまりに突然だったが、震災を経験したからこそ、被害者の気持ちに寄り添っていける」。場所は変わろうとも「この街を守る」という、父の原点をたどる毎日だ。

 駅はバリアフリー化され、生まれ変わった。同ビルに勤務する坂元和美さん(54)は「みんなが安心して過ごせる街にすることが、犠牲者への供養になるはず」と真新しい駅の高架を見上げた。

 「あの日」から十年。復興への決意をあらためてかみ締めている。

(記事・写真 大山伸一郎)

2004/11/4

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