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(7)医療 「薄氷」踏む拠点病院
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 新潟県中越地震の震源南約二十キロ。県立十日町病院(二百七十五床)は、入院病棟の壁に亀裂が入った。入院患者二百三十人は、屋外に避難した。

 被災地内の多くの病院が機能低下した阪神・淡路大震災を踏まえ、大災害にも診療機能を維持できる「災害拠点病院」が全国で指定された。耐震構造で、自家発電装置や増床用簡易ベッドの配備なども要件となる。

 十日町病院もその一つだが、入院病棟は耐震基準を満たしていなかった。災害医療の空白を作らないよう、国が指定を先行させたためだ。耐震性が基準以下の災害拠点病院は、全国五百四十二病院の15%に達する。

 長岡市の長岡赤十字病院(七百四十八床)は、新潟県の基幹災害拠点病院で、建物被害はなかった。発生直後に四十床の簡易病床を並べ、治療の優先度を選別するトリアージポストも置いた。内藤万砂文・救命救急センター長は「万全の体制で臨めた」とする。

 ただ、阪神・淡路で一万人を超えた重傷者は、中越では多くても三百人。迅速・的確な処置を要する挫滅症候群も報告されていない。

 災害拠点病院と並び、阪神・淡路後、インターネット回線を使った「広域災害・救急医療情報システム」が整備された。被災病院は診療の可否や患者転送要請を、他の病院は受け入れ可能患者数、派遣可能医師数を入力し、情報を集約する仕組みだ。

 ところが、台風23号では、但馬地域の回線が不通になり、最も情報が必要な地域でシステムが使えなくなった。

 兵庫県災害医療センターの中山伸一副センター長は、状況を確認するため災害翌日、但馬入りした。結果的に初期医療に大きな混乱はなかったが、「情報がなければ、取りに行く。支援が不要かどうかは、確認するまで分からない」と話す。

 中越では、新潟県内に八十一ある救急病院のうち、翌日までに情報を入力したのはわずかに四病院。県の再三の督促で、情報がそろったのは発生四日目以降だった。

 生活環境の激変などが重なり、被災者のダメージは、中長期的にも続く。

 台風23号襲来の翌日、兵庫県内各地の保健師が淡路や但馬に派遣され、被災者の健康を調べた。

 「一人ひとりにきちんと話を聞くという保健活動の原点が問われた」と、但馬での活動を支援した兵庫県立大学の井伊久美子教授(地域看護学)。食べ物はあるか。トイレは困らないか。つえを普段使っているか。一つ一つ丹念に聞いて、不眠や腰痛といった実情が初めて見えた。

 中越地震の被災地、小千谷市での調査でも、不眠、焦燥、意欲低下など精神的ストレスが浮き彫りになった。

 日本赤十字社は「阪神・淡路ではPTSD(心的外傷後ストレス障害)だけが注目され、一般的なストレスの問題が見過ごされた」と指摘する。そのため昨年、被災者と接するための基本的知識を医療スタッフやボランティアに伝える指導員の養成を始めた。

 中越での各医療チームに早速、指導員を組み入れた。その一人で、神戸赤十字病院の心理療法士、村松知子さんは「話を聞いてあげるだけでも、被災者の孤独感を和らげられる。特別なケアではない」と強調する。

 阪神・淡路から始まった「心のケア」。そのすそ野は、広がりつつある。

2004/11/28
 

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