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(18)防災意識 「10年前」思い返し、学ぶ
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 「地震なんて人ごとだと…。自分の町で起こるとは思っていなかった」

 新潟県中越地震で震度7を記録した川口町の内山敦夫助役は振り返る。同町の地域防災計画は、地震を想定していなかった。

 阪神・淡路大震災後の一九九五年七月、消防庁は地方自治体が定める地域防災計画に、震災対策を盛り込むよう通知した。何らかの形で盛り込んだ自治体は、兵庫県内の全市町を含め、昨年四月時点で約二千七百。全国で五百近い自治体が一切触れていなかった。

 新潟県では九十八市町村のうち、未想定は二十六に上った。県危機管理防災課の鈴木正志副参事は「意識が低くなっていた面は否めない。阪神・淡路が遠い所の話という気持ちがあったのでは」と自省を込める。

 二〇〇二年の政府世論調査によると、阪神・淡路から時間がたつにつれ、懐中電灯や食料、水を備蓄している人の割合は着実に低下している。防災白書の〇三年度版は、「風化の兆し」と記した。

 四十年前の一九六四年、都市化された地が初めて大地震に襲われた。二十六人が犠牲になった新潟地震だった。

 これをきっかけに制度化された「地震保険」も低迷している。

 加入率は阪神・淡路後に上昇したが、〇二年度からは横ばい。火災保険に契約している人のうち、地震保険を付帯する人の割合では減少に転じた。

 しかし〇四年三月末、加入率は前年より0・8ポイント上がり、17・2%になった。付帯率も微増した。原因は明快だった。前年は宮城県連続地震、北海道十勝沖地震が発生し、懸念される東南海・南海地震の被害想定が発表された。

 日本損害保険協会は「危険が迫らないと、備えに手が回らないということだろう」と分析する。

 時間とともに記憶は色あせ、備えの意識は後退する。われわれは、どうすればいいのだろうか。

 「震災の記憶を日常に組み込み、なじませる仕掛けが必要だ」と、災害の「風化」を研究する京都大学防災研究所の矢守克也助教授(社会心理学)。

 同様に、特定非営利活動法人「阪神淡路大震災『1・17希望の灯(あか)り』」の堀内正美代表がいう。「日常の空間に手で触れられる形でモニュメントがあることが、犠牲者と私たちをつなぐ。死を意識することで、犠牲は人ごとではなくなる」

 阪神・淡路大震災記念協会は、六年前から遺族、行政関係者の証言を収集している。現在、計七百人分を数えた。記録は三十年間の封印の後、公開される。世代を超えた継承の営みだ。

 豊岡市上陰地区。全戸の六割が、台風23号で浸水被害に遭った。

 区長の杉村修さん(62)は、自宅を改築した五年前、底地を約一メートル上げていたため、浸水を免れた。一九五九年、但馬地方にもつめ跡を残した伊勢湾台風の経験が生きた。

 杉村さんは23号が去った数日後、泥にまみれた町の様子や、円山川堤防の決壊地点を見て回った。ボランティアとして被災地入りした阪神・淡路が頭の中をよぎった。「やはり災害は起こる。結局、わが身は自分で守れ、ということか」。そう実感したという。

 災害のたびに人は学ぶ。そして「十年前」を思い返す。この列島で暮らすために。

=おわり=

 (社会部・勝沼直子、磯辺康子、石崎勝伸、小森準平、松本茂祥、森本尚樹、東京支社・新開真理、畑野士朗)

2004/12/12
 

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