午後五時五十六分、新潟県中越地震が発生した。県知事は午後九時五分、新潟を含め四県を管轄する陸上自衛隊第十二旅団長に災害派遣を要請した。
防衛庁によると派遣要請前、被害状況偵察などで、被災地上空を飛んだ自衛隊のヘリコプターや航空機は、陸海空合わせて約十五機。県庁をはじめ、小千谷、長岡市など五市役所に、情報収集のための連絡要員も派遣した。
阪神・淡路大震災では、地震発生から派遣要請までの約四時間、被災地上空を飛んだヘリは延べ八機。いずれも飛行高度などに制約を受ける訓練名目だった。陸路は大渋滞に阻まれ、県庁などへの連絡要員派遣も進まなかった。
「初動が遅れた」という批判が災害派遣を取り巻く法律を変えさせ、自衛隊の権限は拡大された。
両被災地で活動した陸自第三特科連隊(兵庫県姫路市)の西岡司明准陸尉(49)は「初動だけでなく、素早い入浴支援など被災者のニーズ把握の面でも、十年前の経験は着実に生きた」と話す。
台風23号ではどうだったのか。
兵庫県知事は、第三特科連隊長に七カ所への災害派遣を要請した。
浸水被害に見舞われた兵庫県洲本市で、住居などに取り残された住民三百人の救助要請が出たのは午後三時四十分。百人規模の部隊が到着したのは、午後十一時半だった。
同連隊は「気象情報などを参考に水防用の出動準備は進めていた」という。しかし、要請内容が人命救助だったため、車両への資機材の積み替えが必要となった。被害規模から部隊も再編成し、駐屯地を出発できたのは、要請から約二時間後になった。淡路島に入ってからは、がけ崩れなどに前進を阻まれた。
兵庫県豊岡市では、市街地の大半が冠水して陸路が完全に断たれた。人命救助に向かった約五十人の部隊が市役所に到着したとき、午後七時二分の要請から十二時間が過ぎていた。
「自衛隊の災害派遣に関する訓令」。そこに「被害がまさに発生しようとしている場合、(要請を受け)やむを得ないと認めたとき」に部隊派遣できる「予防派遣」を定めている。
防衛庁防災業務計画にも、「適切な予防派遣で被害の発生や拡大防止に努める」という方針が示されている。
突発的に起きる地震と異なり、台風は、勢力や進路などからある程度の被害予測が可能なはずだ。
兵庫県は、台風23号で予防派遣の要請は「念頭になかった」とした上で、「制度はあっても、どの程度の緊急性があるのか、どこにどれぐらいの派遣を要請するのかなど、実際の運用は難しいのでは」との見解を示す。
第三特科連隊の拠点、姫路駐屯地では、一度に災害派遣に出せる人員は最大四百人程度にすぎない。
近畿など二府十九県を管轄する陸自中部方面総監部(伊丹市)は、「人員に限りがある中、被害発生前にどこかに出動し、違う所で被害が出ればロスが大きすぎる」とする。
自衛隊の即応能力は高まったが、さまざまな自然災害をにらみながら、より早い救助活動へ、改善策はなお途上にある。
2004/11/25