新潟県長岡市で仮設住宅の鍵渡しが完了した六日朝、中越地震の被災地に例年より少し遅い初雪が降った。
操車場跡地に約四百六十戸が立つ市内最大の仮設団地に越してきた女性(79)は、3K二戸に三世代七人家族で入居した。クーラー、ストーブ、カップラーメン、お茶まで用意されていた。
しかし、一部屋が狭く家族全員でのだんらんは望めない。「ありがたいが、こんな暮らしは情けない。早く自分の生活に戻りたい。若い者に負担をかけてしまうが…」
土砂崩れの危険が去らない同市濁沢(にごりさわ)地区の男性(80)は妻と二人で入居した。「穏やかに、濁沢の土になりたかったけども」。山崩れにおびえながらの自宅再建より、千葉県に住む息子の家に身を寄せる気持ちに傾いている。
「住まい復興の位置付けが小さすぎる。最重要テーマの一つとして取り上げるべきである」
復興十年総括検証事業に着手した兵庫県に今年二月、一通の意見書が届いた。提出者は県から復興十年委員を委嘱された高田光雄・京都大学大学院工学研究科教授(住宅政策)。「住宅問題」が、独立したテーマとして挙がっていないことへの苦言だった。
県の担当者は「住宅問題はあらゆる面で暮らしの基盤。一つの部会に収まらないと考えた」と説明したが、複数の委員から異論が出た。このため、県は分科会に住宅問題を追加した。
九月末に公表された検証事業の中間報告には、住宅復興に関して厳しい意見が並んだ。避難所から仮設住宅、公営住宅、という「単線型」の住宅復興施策。それに伴う社会的弱者の集中とコミュニティーの崩壊。批判の矛先はやはりそこに集中した。
内閣府が十月末、新潟県災害対策本部に提供した阪神・淡路大震災の教訓集にも、同じ指摘が記載されていた。
十年前、神戸市は仮設住宅入居に際し、八割を希望者全員による抽選、残る二割を高齢者・障害者・母子家庭の優先枠にしようとした。兵庫県は、旧厚生省や建設省の意向を受け、すべて弱者優先枠とするよう指示した。
市は県の方針を受け入れたが、「その結果、地域性が失われ、自治の人手を欠いた」と教訓集は総括する。
その構図は、復興住宅にも継承された。六十五歳以上の入居者が六割、七割を超えるところも少なくない。
兵庫県住宅審議会委員の舟場正富・流通科学大学教授(地方財政学)は、「阪神・淡路当時、数を確保することで頭がいっぱいで、中身を考える議論がなかった」と振り返る。
しかし、住む場所が与えられ、街が整備されても、コミュニティーは疲弊し、復興の実感がわかないことへの疑問が年々膨らんできた。「われわれは出発点を間違え、解をみつけ損ねたのではないか。制度からでなく、ニーズから始めなければ、次の災害も同じことを繰り返す」
中越地震の仮設住宅では、大家族用の3Kタイプをはじめ、抽選によらない集落ごとの入居、ペットの飼育許可、デイサービスセンターの併設など、阪神・淡路にはなかったメニューが早々に打ち出された。
阪神・淡路でほとんど機能しなかった災害救助法の応急修理制度も、新潟県が厚生労働省を説き伏せた。仮設住宅に入居しないことを条件に、所得要件や修理の基準、申し込み手続きを大幅に緩めて使える制度にした。
新潟県建築住宅課の小島松俊課長は「仮設住宅は元の暮らしに戻る迂回路(うかいろ)の一つ。自宅再建に一番近い道を被災者自身に決めてもらう」と話す。
旧建設省地域住宅計画官として、仮設住宅建設途上だった神戸市に入った長岡市の森民夫市長が言う。
「阪神・淡路を知ることで、悲劇を防ぐことができる」
2004/12/11