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(1)車中死 阪神・淡路と異なる特徴
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 新潟県中越地震から四日後の十月二十七日早朝。

 小千谷市の目崎幸代さん(43)は、避難生活を送っていた車中で目を覚ますと、夫の繁さん(57)に尋ねた。「お父さん、いま何時?」。「六時だよ」。地域住民が協力してつくる朝食の準備のため、幸代さんは車を降りた。

 倒れたのは、歩き始めて十数秒後だった。「救急車なんかいらねー」。気丈に搬送を拒んだが、意識はもうろうとしていた。市内の病院から隣接する長岡市へ転送。意識は戻らず、約九時間後に息を引き取った。

 「エコノミークラス症候群(肺塞栓症=はいそくせんしょう)」。医師が告げた死因は思いがけないものだった。長時間同じ姿勢で座り続けると足の静脈に血栓ができ、その血栓が肺に達して血管を詰まらせ、呼吸困難に陥ったりする。

 「こういう病気の情報を、早く流してくれていれば。死んでから聞いても遅い」。繁さんは声を詰まらせた。

 地震による直接の犠牲でなく、その後の病気などで亡くなる「関連死」。阪神・淡路大震災で初めて概念が取り入れられ、被災市町が「震災死者」と認めた人は九百人を超えた。災害後にこうした死が起こり得ることは、阪神・淡路の教訓の一つだった。

 しかし、新潟では死者四十人の六割を関連死が占め、その四割近くが、車中生活者か経験者だ。阪神・淡路で表面化しなかった「車中死」だった。

 新潟に入った神戸協同病院(神戸市長田区)の上田耕蔵院長は「神戸では、避難所や自宅で、寒さと粉じんのため肺炎などの呼吸器疾患になる人が目立った」と話す。関連死の最多死因は肺炎で24%(神戸新聞社集計)だった。「新潟は呼吸器疾患がほとんどなく、循環器疾患(急性心不全、心筋梗塞(しんきんこうそく)、肺塞栓症など)が多いのが特徴。避難場所では車が最多」

 強い余震に対する恐怖やストレスが影響したとみられる。しかも、車中死は四十-八十代の広い年齢層で起きている。阪神・淡路では関連死の九割以上が六十歳以上で、「関連死=高齢者」というイメージが根付いていた。

 災害が違えば、死者の姿は違う。

 新潟県は、一世帯当たりの乗用車保有台数が全国十一位の一・五台。兵庫県の〇・九六台(四十三位)に比べると格段に多い。

 地震翌日に車で食事中、体調が急変して亡くなった大橋勝栄さん(85)=小千谷市=の長男秀樹さん(54)は「車に避難することしか思いつかなかった」という。混雑した避難所より、家族で静かに過ごせる車中を父が好むことも分かっていた。余震が続く中、近隣住民も建物内を避けて車中で寝ていた。

 膨大な数の車中避難は、被災自治体にとっては想定外だった。県や小千谷市が注意喚起のビラ配布などを本格化させたのは、死者が相次いだ後の二十九、三十日ごろからだ。

 小千谷市で巡回診療に当たった新潟大学医歯学総合病院の榛(はん)沢和彦医師は「雪国では家屋内に駐車するため、小さな車を持つ人が多い。不安感から家族が別々になることを避け、小さな車に窮屈な姿勢で寝ることになったのではないか」と分析する。

 目崎幸代さんも、軽乗用車に家族四人と三匹の犬とで避難していた。「息子に知的障害があり、犬も地震におびえていた。避難所に行くのは無理だった」と繁さん。犠牲者はそれぞれの事情を抱え、車中生活を続けていた。

    ◆

 中越地震は、災害がいつ、どこに起きてもおかしくない現実を突き付けた。台風23号は全国各地で猛威を振るい、兵庫県内だけで二十五人が犠牲となった。この十年で、災害への備えはどこまで進んだのかを検証する。

2004/11/21
 

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