連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

(2)共同体 「山村型」の強さと弱さ
  • 印刷

 まさに「陸の孤島」だった。

 新潟県中越地震で、村外へ通じる道路が寸断された山古志村。人口約二千二百人。通信手段も奪われ、村すべてが隣接する長岡市に避難するという決断を迫られた。

 「寝間着のままヘリコプターに乗ってきた」

 県立長岡大手高校の体育館に避難した坂牧四一郎さん(82)と妻のミヨさん(79)は激震の後、無我夢中で家を飛び出した。何も持たず、身一つで丸二夜を過ごした。暗闇と寒さの中、「命だけは」と、グラウンドで救出を待ち続けた経験を忘れることはできない。

 「阪神・淡路大震災は大都市型、新潟は中山間部型。こちらの経験をそのまま当てはめられない」

 新潟の被災地で自治体の支援に当たった兵庫県の藤原雅人・総括部参事は、二つの震災の違いを痛感した。

 土砂崩れによる集落の孤立や、車中避難の多さ…。阪神・淡路ではなかった現象に加え、避難所の様子がまったく違った。

 山古志村は全村避難から約一週間後、十四の集落ごとに集まるよう避難所を再編成した。十台以上のバスを使った大移動。集落のまとめ役「区長」を務める小川紀雄さん(70)は「役場からの連絡は区長会議で伝達され、皆に伝わる。集落ごとのほうが安心する、という住民も多かった」と話す。

 震度7を記録した川口町でも、避難所やテントは地区ごとの運営が徹底していた。周辺の被害が大きかった田麦山小学校の避難所本部長、涌井清隆さん(53)は「最初の数日は地区の総代に声をかけて米を集めた」という。同小学校だけでなく、畑の野菜と井戸水で炊き出しをした地域は少なくない。

 強固な地域共同体。阪神・淡路以上に、「コミュニティー」は生活の基盤を成す。新潟県は、仮設住宅でもできるだけ集落を維持する方針だ。

 地域のきずなが強いゆえの課題もある。

 新潟県は十月末、避難生活が長引く被災者のため、県内の旅館に無料で宿泊できる制度を設けた。が、これまでの利用は、確保した約五千人分の一割程度しかない。

 「一人だけ抜け駆けしてはいけない、という意識があるのかもしれない」と泉田裕彦知事。「それがコミュニティーの強さでもあり、弱さでもある」と漏らした。

 被災初期の段階で避難所以外に公的な支援策がほとんど示されず、「選択肢がない」ことが問題となった阪神・淡路大震災。その教訓から、新潟県は多様なメニューを打ち出した。

 住宅の修理を待つ間の「避難所」として、自宅敷地内に設置できるユニットハウスを無償提供する支援策も設けた。しかし、申し込みは約五十世帯にとどまる。雪の重みを考慮した造りではなく、降雪までの短期間しか使えないとはいえ、個別の選択を避ける「横並び意識」が見え隠れする。

 「近くにいる子どもは来いと言ってくれるが、皆と一緒に仮設に入らないと」「親類の家では情報が入らないから、避難所に戻ってきた」-。山古志村住民の避難所では、そんな声も聞かれた。

 「自助努力を重んじるあまり、外部の人に頼らない。避難生活が長引くと、限界を超えてしまわないか心配」と言うのは、避難所対策の支援で兵庫県から現地に派遣された板東和司・県立図書館次長。

 新潟県では、地震から約一カ月の今も、約七千人が避難生活を送る。

2004/11/22
 

天気(9月6日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 10%

  • 35℃
  • ---℃
  • 10%

  • 35℃
  • ---℃
  • 0%

  • 36℃
  • ---℃
  • 10%

お知らせ