阪神・淡路大震災から26年の1月17日を迎えた。私たちは、震災からの四半世紀を終え、次の新たな四半世紀にいる。
ところで、西日本の地震の歴史を見ると、大規模な地震が繰り返し発生する「活動期」と、大規模な地震が比較的少ない「平穏期」を相互に繰り返している。活動期は50年ほど、平穏期は50年から100年ほど続く。
活動期は、大規模な直下型地震がいくつか発生した後、より大規模な海溝型地震の発生で終了する。現在は26年前の兵庫県南部地震を起点とし、次の南海トラフ地震を終点とする活動期の最中にある。活動期が約50年とすると、その中間点にいることになる。
この中間点は、折り返し点でも転換点でもある。阪神・淡路は次第に遠のいてゆき、南海トラフは次第に近づいてくる。それに伴って、被災を癒やす対応から被災を防ぐ対応に、災害対応の質を変えてゆかねばならない。復興の段階から減災の段階への転換が求められるということだ。
この段階では、阪神・淡路大震災に対する「心理的な距離感」を変えて行かなければならない。慰霊と追悼の気持ちを込めて過去を振り返ることも大切だが、次の災害を未然に防ぐという気持ちを込めて過去を振り返ることが必要になってくる。
■復興の「影」にも着目を
災害対応では、予防から被災さらには復興、そして再び予防へというサイクルが存在する。このサイクルの中で最も重要な過程が、事後の復興から事前の減災への移行である。その重要な移行の過程にいることを自覚した「大きな転換」が、今こそ求められている。
今までの四半世紀から次に向けての四半世紀への転換点では、第1に「災害を振り返る」から「災害に向き合う」に、第2に「教訓を学び伝える」から「教訓を生かし育む」に、第3に「社会を修復し再生する」から「社会を創造し変革する」に、災害対応の軸足を変えなければならない。
最初の災害に向き合うということでは、阪神・淡路大震災がどうだったかを語る時間よりは、南海トラフ地震が起きるとどうなるかを語る時間を増やすようにしたい。学校教育においても、阪神・淡路大震災に触れる時間より、地球温暖化のリスクや南海トラフのリスクに触れる時間を多くしたい。
事前の減災では、正しく恐れるために地獄絵を描くことが推奨されている。阪神・淡路の地獄を思い起こしつつ、南海トラフの地獄絵を思い描かなくてはならない。次の災害に向き合うためには、減災や防備につながるリスクコミュニケーションが大切ということである。
2番目の、「次の教訓を生かし育む」ということでは、過去の被災の状況や被災の体験を語るよりは、防災や減災への取り組みの実践を語らなければならない。減災の意識や態勢をいかに育むかを、論じなければならない。
ここでの減災の意識ということでは、防災教育や災害伝承のあり方が問われることになる。残念なことに、今まで防災教育に取り組んできたにもかかわらず、住宅再建共済の加入率の停滞に示されるように、被災地の意識は必ずしも高くない。意識を変えるという視点が弱かったためである。
防災教育では、減災の主人公となる一人一人の主体性を引き出す教育が必要となる。考える力を引き出すことや助け合う思いを育むことが求められ、集団教育や現地教育のウエートを高めなければならない。「伝える教育」や「与える教育」から、「育てる教育」や「引き出す教育」への転換が求められているのだ。
災害伝承のあり方にも触れておこう。人と防災未来センターの展示の内容も、時代の変化に応じて変わらなければならない。「生かす展示」や「育てる展示」の比重を高めなければならないと思う。体験型あるいは思考型の教育機能の充実をはかり、伝えるミュージアムと育てるミュージアムの、機能の併存を実現したい。
最後の、「創造し変革する」ということでは、災害の温床になっている文明のひずみや社会の矛盾を正すことが欠かせない。コロナ禍でも、生活様式や社会構造、あるいは地球環境のあり方が問われたが、それらにメスを入れることがここでは求められる。
公衆衛生という考え方がある。基礎的な体力を養うこと、健全な生活環境を育むことが、健康維持のためには求められる。それと同じように、自然との環境共生をはかること、コミュニティーの連携強化をはかることが、減災や安全のためには欠かせない。
次の南海トラフ地震に備えるためには、この社会の脆弱(ぜいじゃく)性や文明の跛行(はこう)性を解消しなければならない。格差是正をはかること、一極集中を改善すること、社会福祉の充実をはかることなどが、ここでは求められる。
ところで、社会の変革をはかるということでは、四半世紀の取り組みの検証が欠かせない。その場合、復興の失敗としての影の部分にあえて目を向けるべきだと思っている。影の部分としての失敗した課題や未達成の課題に挑戦することが、公衆衛生につながり、災害に強い社会につながるからだ。
活動期後半の四半世紀にやるべきことはヤマのようにある。(むろさき・よしてる=兵庫県立大教授・防災計画学)
