阪神・淡路大震災から27年が経過した。ということは、南海トラフ沖地震などの巨大災害に27年近づいたということである。
地球温暖化や地震活動期の影響もあり、未経験の大規模災害に見舞われるリスクが急拡大している。トンガの火山噴火をみても明らかなように、いつ何が起きても不思議ではない時代にいる。
それだけに、次の災害に真摯(しんし)に取り組む決意と覚悟が求められている。事前の準備が万全かどうか、日々の備えが十分かどうか、安全な社会をつくりえたのか。次の災害に向けての点検と防備が求められる。
同じ悲しみを繰り返さないという視点で、大震災後の復興と減災の課題がどこまで達成されたのかを、厳しくチェックしなければならない。
建物の倒壊が起こらないか、市街地の大火が起こらないか、生活再建の遅れが起こらないかを、いま一度問い直したい。
見逃しているリスク、後回しにしているリスク、手を抜いているリスクがないかを、冷厳に見直さなければならない。転ばぬ先のつえ、ぬれぬ先の傘がいる。
■減災へ意志と戦略を
見逃しているリスクとして、ビルの倒壊による犠牲がある。大震災では、多くの近代的ビルが倒壊したにもかかわらず、犠牲者は極めて少なかった。早朝でビルの中に人がいなかったためである。ビルでの犠牲者が少なかったということで、耐震化の重点はビルではなく住宅におかれてしまった。
1981年に建築の耐震基準が改正されたが、それ以前に建てられたビルが少なからず存在する。それら旧基準のビルは、耐震性が保証されないため、倒壊や層破壊を起こす危険がある。それゆえに、旧基準のすべてのビルについては耐震診断を行い、その耐震性をチェックしなければならない。
しかし、耐震診断が義務付けられているのは、不特定多数が利用する大規模なビルなどに限定されており、それ以外のビルは野放し状態にある。これらのビルの倒壊リスクに目を向けないと、凄惨(せいさん)な悲劇を繰り返すことになる。
大火時の広域避難のリスクも見逃されている。大震災では、倒壊した建物内で閉じ込められて焼死することはあっても、避難時に火炎に取り囲まれて焼死することはなかった。強風が吹いていなかったために関東大震災の時のような惨劇を免れた。
その結果、取り囲まれ型のリスクが見逃されることになった。自治体の被害想定では、火炎に囲まれて犠牲になる人数が勘定に入っていない。そのため、焼死者数は極めて少なく見積もられている。そこから油断が生まれている。火災旋風も含めて、避難時の焼死から目を背けてはいけない。
後回しのリスクでは、市街地大火がある。復興では、建物の不燃化をはかることや、広幅員の道路を張り巡らすことを後回しにした。とりあえずの生活再建を優先したからである。その結果、元の場所に木造住宅が建ち並ぶことになった。
区画整理で道路が広げられ、耐震貯水槽も整備されたが、木造が中途半端に建ち並んでいるので、地震時の大火は防げない。防ぐためには、後回しにした建物の不燃化率を高めること、延焼遮断帯の整備をはかることなどが欠かせない。
震災が問いかけた社会のゆがみに向き合うことも、後回しにされている。震災は、社会のあるべき姿を問いかけた。自然と人間の共生をはかる、地域社会の経済格差を正す、自律分散型の都市をつくるといった課題を、私たちに突きつけた。その課題に応えなければならない。文化的に安全な街をつくることを、忘れてならない。
手を抜いているリスクにも触れておこう。木造住宅の耐震化や感震ブレーカーの普及は、その最たるものである。財源や意識の壁を乗り越えようとする努力が欠けていて、前に進まない。財政支援が不十分なために、経済的余裕のない高齢者が危険な木造に住み続けているが、その解消の目途が立たない。
住宅再建のために兵庫県が創設した「フェニックス共済」の普及も遅れている。その加入率はわずか10%にとどまっている。事前に備えることと互いに助け合うことを震災で学んだが、それを具体化したのがこのフェニックス共済である。困った人を助けるための仕組みなのに、助けてあげようという人が増えないのは悲しい。
このように見てくると、安全な社会を目指して努力してきたにもかかわらず、まだまだ不十分だ。巨大災害の前夜にいるにもかかわらず能天気だともいえる。
大震災前と同じく、大地震など来ないという正常化バイアスに陥ってはならない。科学的にリスクを見つめて、その軽減を着実にはかっていくようにしたい。行政でも地域でも家庭でも「震災犠牲者ゼロ」のプロジェクトを立ち上げよう。私たちに残された時間は少ないが、減災への強い意志と戦略があれば、被害ゼロに限りなく近づくことができる。
(むろさき・よしてる=兵庫県立大教授、防災計画学)
