針路21

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 苦い記憶がある。1990年頃、神戸に帰省した時の話だ。三宮の交差点でチラシを配る女性に声をかけられた。卒業以来会ったことのない元同級生だった。懐かしくて立ち話をしていると、近くで勉強会をやっているから来ないかという。

 出かけてみると受付で連絡先を書かされ、奥の広い部屋に案内された。一人ずつブースになった机が並んでいて、そこでまずビデオを見てほしいとヘッドホンを渡された。

 何かの講義のようだった。講師が黒板にいくつかの単語を書いた瞬間、背筋に緊張が走った。ちょうど霊感商法が問題視され始めていた旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の教義に関わるキーワードだったためだ。当時購読していた週刊誌が報じていて気づいたのである。

 夜になってリーダーを名乗る人から実家に勧誘の電話がかかってきた。私が団体の正体を知っていることを告げて強く断ったためそれ以来連絡してくることはなかったが、心配なのは私を誘った元同級生のことだった。住所録を頼りに電話をかけるが本人は不在。母親はすでに承知だったのか驚く様子もない。結局何もできず帰京するしかなかった。

■人間の営みがはらむ危険性

 先月『証し 日本のキリスト者』を上梓(じょうし)した。この6年ほど全国の教会を教派に関係なく訪ね歩き、聖職者から一般信徒まで135人余りのキリスト者に、なぜ神を信じるのか、彼らの信仰について取材したノンフィクションだ。

 ちょうど韓国でカルトと認定されている団体が日本に上陸して活動を開始し、各教団が警告を発信していた時期だったらしく、旅先で私がその団体の人間だと間違われたことがあった。

 聞けば、2人組でやってきて熱心に活動するが、やがて聖職者を批判して信徒を分裂させ、教会をまるごとのっとる手法らしい。実際その被害に遭い、一から神学を学ぶため神学校に通い始めたという教会役員もいた。

 カルトからの脱会カウンセリングをしている牧師にも会った。カルトの特徴は自らの正体を隠し、あるいは偽って近づいてくること。辞めたくても辞められない、つまり自由意志を制限されること。この二つが見分けるための最初のポイントだと教えてくれた。

 カウンセリングは本人に注ぐ力が1とすると、家族に4。ほとんどの時間を家族との話し合いに費やすという。本人が帰宅したら決して責めてはいけない。「おまえがあんな宗教にだまされるからいけないんだ」と批判したら最後、団体に戻ってしまうためだ。

 安倍晋三元首相の暗殺事件以降、親が宗教団体に多額の献金をすることによって苦しむ宗教2世の存在が浮きぼりになった。この間の議論で欠けていると感じたのが、信仰とは何か、だ。献金するのは信仰があるからで、本人たちは自らの意志でささげている。なぜ自らの意志でささげるかといえば、神を信じるからである。

 信じれば信じるほど、神に忠実ではない者への視線は厳しくなりがちだ。「神様より親が怖かった」という信徒の声をあちこちで耳にした。「信じない者は地獄へ落ちるぞ」と親に脅されて教会に行かされたり、牧師の父親に殴られ蹴られ宙づりにされたり、時代をさかのぼれば、ちょっとふざけただけで、カトリックの伝道師だった祖父に竹の火吹き棒を投げつけられたという人もいた。

 恐怖で追い詰めて自由を縛るのは今でこそ虐待にあたるが、信仰は家族で受け継がれるケースが多いことや組織の閉鎖性からなかなか問題視されなかった。

 親子に限った話ではない。教会を去ったために「サタン」呼ばわりされたというプロテスタントの信徒がいた。離婚してからミサで聖餐(せいさん)(パンと葡萄(ぶどう)酒)を受けさせてもらえなくなり、教会を離れたカトリックの信徒にも会った。

 聖職者が複数の信徒に性的虐待をしていた事実が判明したものの、教会がこれを恥とみなして事実をもみ消したというプロテスタント教会の事例もあった。近年ようやく明るみになってきたが、性的虐待が表に出にくかったのはこうした閉鎖性のためだ。

 カルトであれ正統派であれ変わりはない。信仰が人間の営みである以上、組織はいつでもいかようにも歪(ゆが)む危険性をはらんでいる。

 宗教2世が話題になる今、ある2世の知人はちょっと迷惑だとつぶやいた。信仰を与えられたことで悩みながらも、日々感謝しながら生きている人のほうが大半であり、宗教2世イコール不幸、のレッテル張りは控えるべきだろう。信仰は内面のものであり、第三者が口を挟むべきではないという主張も理解はできる。世界には信仰を尋ねるのはタブーという国もある。

 ただその特権によって、本来であれば苦しむ必要のないことに苦しんでいる人々がいたとしたらどうだろうか。それでも内面のものだからと放置していてよいはずがない。

 厚生労働省が宗教を背景とする児童虐待の指針をまとめたが、被害者は児童に限らないことを私は現場で見聞きした。旧統一教会がきっかけとはいえ、すべての宗教団体が自らの来し方行く末を問い直す時がきたといえよう。

(さいしょう・はづき=ノンフィクションライター)

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