針路21

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 福島第1原発のある福島県双葉郡は面積865平方キロ、東京都23区よりもはるかに大きい。原発事故以前、郡内にはバドミントンの桃田賢斗選手の出身校富岡高校など五つの高校があった。

 しかし、そのすべての高校が、たまたま風向きの関係で放射線量の高い区域に入っていた。そのため、この5校は、いずれもサテライト校として、生徒とともに県内各地に分散することになる。

 一方で、極めて大きな郡なので、ほとんど避難をしなかったり、数カ月で帰ってきたりしたご家族も多くいた。まず、そういった家庭の子どもたちの通う高校がなくなってしまった。高校がなければ帰還や復興も進まない。そこで福島県は、線量の低い郡の南べり、広野町にふたば未来学園という新設校を開設した。

 この学校では、1年次に全員が演劇の授業を受ける。たまたま私が「教育復興応援団」の一人として、開学初年度に演劇の授業を行ったところ、それが当時の校長の目にとまり、演劇教育が学校の伝統になった。演劇部も開学4年目にして全国大会に出場、いまでは演劇がやりたくて本校を選ぶ生徒もいると聞く。

■一人の苦しみにこそ真実が

 演劇といっても「復興バンザイ!」といった舞台を創るわけではない。まず班ごとに地域に出て行って、地域が抱える現在の問題を丹念に取材する。訪問先は漁協や町役場、病院、学校、そして東京電力福島復興本社も含まれる。生徒たちは取材に基づいて自分たちであらすじを考え、せりふを書き、稽古を繰り返して10分弱の作品を数カ月かけて創り上げる。

 現在、福島第1原発を巡る喫緊で最大の課題は処理水(いわゆる汚染水)の海洋放出問題だ。この件については本当に一人ひとり意見もさまざまで、明確な対案もない。まさに答えのない問いかけになっている。昨年末の演劇発表会でも、この問題を取り上げた班がいくつかあった。

 私がもっとも興味深く感じたのは、ある東電の女性職員を主人公にした作品だった。彼女は双葉郡の南隣いわき市の出身で、2011年の春に高校を卒業し東電への就職が決まっていた。3月11日の震災で避難所に入り、原発事故の報道に動揺する。4月までの20日間、混乱の中での呻吟(しんぎん)が続くが、家族や友人に背中を押されて、そのまま入社という決断をした。

 「被災者が加害者になる」

 これは高校生たちがご本人から直接聞いた言葉のようだ。いまもこの女性は迷いながら、戸惑いながら広報関係の仕事に就いている。

 私が学長を務める芸術文化観光専門職大学は、もうすぐ1年目の課程を終える。1年前の入学式で私は「科学的態度を身につけてほしい」と1期生にお願いした。

 科学とは何だろう。

 自然科学は再現可能であることを絶対条件とする。実験の手順さえ間違えなければ、誰でも同じ答えが出るのが自然科学の特徴だ。社会科学はもう少し緩やかに、統計や経験則から人間や社会を捉える。例外も認めるが、過去の経験値から社会はおおよそ、このように動いていくだろうと推測する。

 人文学はきわめて一回性の強い学問だ。どんなに崇高な文学論を打ち立て、またそれを学んでも1冊の小説さえ書けない。私たち芸術家は個別の事象を扱い、掘り下げ、人間の本質に迫ろうとする。

 おそらく処理水の海洋放出は、自然科学的には安全なのだろう。もちろんこの点も賛否あることは承知しているが、国際的な安全基準から見ても許容範囲だという主張には一定の客観的な根拠はある。

 しかし社会科学的に見れば、やはり海洋放出は様々な問題を含む。風評被害は計り知れないし、そこに地域と東電の間の信頼関係や、国際問題も顔を出してくる。

 ただ、私たちが何より共感するのは、先に掲げた一人の女性の迷いや苦しみかもしれない。その一回性にこそ、ある種の真実があり、私たちはそれを非科学的と呼ぶことはできない。

 念のために書いておくが、ここで言う「共感」とは「同意」のことではない。自分は東電には就職しないが、あるいは自分は海洋放出には反対だが、それでも彼女の苦しみや迷いも理解できるという意味での共感だ。

 阪神・淡路大震災からの復興の末に、兵庫県民の貴重な財源で建てられた我が校の学生たちには、この三つの科学的態度を等しく身につけてもらいたいと願う。

 自然科学に基づく理性的な判断、社会科学的な広い視野。いずれも大学生には確実に身につけてもらいたい能力だ。しかし、とてつもなく大きな災害に直面したときにも、私たちはそこに生きる一人ひとりの生活や、その個別の苦しみも忘れてはならない。

 福島から自主避難し途中で支援を打ち切られてしまった人々の怒り。双葉郡に残り復興に取り組む人々の苦悩や希望。県内各地に散らばり、そこで職を得ながら、今もなお故郷に帰ることを願う人々の切なさ。

 もうすぐ東北に11年目の春がやってくる。

 福島は、何も終わっていない。

(ひらた・おりざ=劇作家、芸術文化観光専門職大学学長)

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