太平洋戦争では、多くの女学生が川崎航空機(現川崎重工業)明石工場=明石市川崎町=に学徒動員によって集められた。小野高等女学校(現県立小野高校)の卒業生らが戦後30年の節目に当時の体験を記した文集には過酷な環境下ながら友情を育み、恋を夢見た少女たちの姿が垣間見える。
「飛行機の部品作りに命をかけた日々。今考えると、こっけいな姿であるが、これが私たちの十六歳の青春だったのである。(中略)少女として美しい夢を追う気持は誰しも持っていたと思える」
文集によると、明石工場で働く約3万8千人のうち、約1万人ほどが男子を含む学徒だったという。
























