今年5月、小野高等女学校(現県立小野高校)を卒業した1人の女性が亡くなった。太平洋戦争中、学徒動員によって川崎航空機(現川崎重工業)明石工場=明石市川崎町=で働いた福井なつゑさん。96歳だった。
1945(昭和20)年1月19日の同工場を狙った空襲では、田辺高等家政女学校(現和歌山県立田辺高校)の11人が生き埋めになり死亡した。その11人が逃げ込んだのは、いつもは小野高女生が入っていた防空壕(ごう)の一つだった。
小野高女の卒業生らが戦後30年の節目に学徒動員を振り返った文集で、戦時中に引率していた教員、佐々木富枝さんがこの日のことを記している。
「朝礼にて『本日警報が出たら昨日より遠くの壕に待避、即(すなわ)ち池の向こうの壕に入る事』と念をおす」
























