「30年目の手記」を企画したデザイン・クリエイティブセンター神戸の大泉愛子さん=神戸市中央区小野浜町1
「30年目の手記」を企画したデザイン・クリエイティブセンター神戸の大泉愛子さん=神戸市中央区小野浜町1

 阪神・淡路大震災の発生から来年で30年になるのを前に、デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO・神戸市中央区小野浜町1)が手記を募集している。居住地や年齢、被害の有無にかかわらず、エピソードを寄せてほしいと、職員で宮城県出身の大泉愛子さんが企画した。自身に被災の経験はなく、今まで災害を語ることを傍観してきたが、「誰しもが何かを感じたはず。今だから語れる思いを寄せてほしい」と力を込める。(津田和納)

 KIITOが、研究者らでつくる「災間文化研究会」などと取り組むリサーチプロジェクト「災間スタディーズ 震災30年目の“分有”をさぐる」の一環。「30年目の手記」と題し、阪神・淡路大震災にまつわる手記を募る。手記はインターネット上で公開するほか、震災の記録として「人と防災未来センター」(同市)に寄贈される。

 大泉さんは、仙台市出身。1995年1月17日当時は小学6年生で、「電車の高架が倒壊している様子、長田区の火事の映像が衝撃的だった」。大災害の映像を目の当たりにしたのも初めて経験だった。

 大学で建築学を学んだ後、京都で学芸員の仕事に就いた。2011年3月11日の東日本大震災発生時は、京都で勤務しており、同僚から「東北がすごいことになってる」と言われてテレビをつけた。

 押し寄せる津波、港の火災、原発の事故…。発生後すぐに実家に電話をし、一度はつながったが、その後は不通になった。「情報の信ぴょう性も分からず、状況が把握できない怖さがあった」

 仙台市内の家族も友人も無事だったが、いくつもの思い入れのある場所が大きな被害を受け、景色が一変した。だが、「発生時にその場にいない、揺れを経験していないという引け目から、私には震災を語ることができない、という気持ちがあった」と明かす。両親も市内で被災したが「沿岸部の人の方が大変だったから」と話題にするのを避けた。

 阪神・淡路大震災の発生直後から手記を集め、出版を続ける市民団体「阪神大震災を記録しつづける会」との出合いが考えを変えるきっかけになった。

 一人称で語られる手記。記憶が薄れていく中でも、読むと、その人の経験を近しく感じ、共感できる。「防災のためにも、記憶を継承する一人称の語りが大事になってくる」と気付いた。

 東日本大震災で被災した女性がつづった育児日記をまとめた本「わたしは思い出す」をたどる作品展(AHA!主催)を、21年にKIITOで開催したことも影響した。個人的な日記が社会全体の記憶と経験となり、共有される。「そんな記録の仕方を用いて経験を分かち合いたいと思った」と語る。

 募集する手記は、阪神・淡路大震災を起点として、地震や風水害、コロナ禍など、さまざまな災害の間を生きている「災間」の考えに基づき、30年間にあったそれぞれのエピソードを語ってもらう。

 プロジェクトのテーマには、「共有ではなく、読んだ人で分かち合う“分有”という言葉を選んだ」と大泉さん。「心の中に閉じてしまっている思いや言葉を寄せてほしい」と話す。

 誰でも応募可能。自作未発表で、1200字以内。タイトル、名前またはペンネーム、手記を書いた理由(300字以内)、住所、電話番号、メールアドレス、1995年の居住地、年齢を添えて、KIITOウェブサイト内の応募フォームから送る。郵送は〒651-0082 兵庫県神戸市中央区小野浜町1の4、デザイン・クリエイティブセンター神戸「30年目の手記」担当宛て。12月17日まで募集する。