「阪神・淡路復興委員会の方向性から全て下河辺さんの頭に入っていた」と話す御厨貴さん=東京都港区台場2(撮影・佐々木彰尚)
「阪神・淡路復興委員会の方向性から全て下河辺さんの頭に入っていた」と話す御厨貴さん=東京都港区台場2(撮影・佐々木彰尚)

 戦後の国土計画をリードした元国土事務次官、下河辺淳さん。1995年、阪神・淡路復興委員長として会議をどう仕切ったか。当時、同時進行でオーラルヒストリー(口述記録)を行った政治学者、御厨(みくりや)貴さん(東大名誉教授)に聞いた。

 -復興委は7人の委員と2人の特別顧問。元副総理の後藤田正晴さんの役割が大きい印象だ。

 「特別顧問に後藤田さんと当時経団連名誉会長の平岩外四さんの大物2人を据えた。政治でうるさい勢力があれば後藤田さんが、経済では平岩さんが黙らせる。(運営は)何から何まで下河辺さんの頭の中にあった。東日本大震災もそうだが、自民党政権ではなかった。基盤がそんなに強くない村山政権だったから首相一人から了解を取り付ければよい。彼としてはやりやすかったのでしょう」

 -下河辺さんは震災前からの兵庫県と神戸市のビジョン活用を呼びかけ、計画が出ると後藤田さんがけん制する。2人の呼吸はぴったり合っていた印象だ。