兵庫運河(神戸市兵庫区)沿いに、鉄骨造りの頑強な建物が計4棟立つ。阪神・淡路大震災から3年後の1998年、神戸市が建てた日本最大級の公営賃貸工場。復興支援工場から、ものづくり工場と名を変え、中小零細100社余りが居を構える。
集合住宅のように区切られた一画。工作機械が並ぶ約70平方メートルの作業場で、藤森工作所代表の藤森功一(60)が部品の加工を続ける。
震災で同市長田区の工場が全壊。数カ月後、同市西区の仮設工場に移り、5年の賃貸期間が満了した2000年にここへ来た。
もとは靴底の金型製造。震災で靴業界が打撃を受け、「工業用をやらないと、仕事を続けられなかった」。自動車や医療機器部品の金型製造に転換を図った。
市などの支援で、仕事の後や休日にコンピューター利用設計システム(CAD)を学び、試作を繰り返した。取引先を紹介され、「飛び込みでも行ってこい」と、ハッパをかけられた。
神戸や加古川、大阪、奈良を回り、少しずつ受注を取った。一時は軌道に乗るが、08年のリーマン・ショックで売上高が震災前の半分に落ち、今も回復しない。
近年は電気自動車へ移行が進み、「発注が少なく、単価の安い仕事しか来ない」。一方で電気代や原材料は高騰。「今が一番しんどい。2、3年続くと厳しい」
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重厚長大の下請け企業が多い神戸市長田、兵庫区。事業所数は計約1万1千カ所と、30年で半減した。震災後、被災した大手が製造拠点を兵庫県外に移転。市場や低賃金を求めて海外移転も進め、下請けにも進出を迫った。
「とてもついて行けなかった」。同市長田区で被災し、1998年からものづくり工場に入居するゴム製品加工の栗山プレス工業所。代表の栗山崇(77)が話す。
オートバイ大手の2次下請けだったが、取引の縮小を通知され、自動車や家電の部品加工へシフトした。リスク分散のため「単価の高いものを少しずつ扱う路線にした」。
公営賃貸工場は、受注状況に応じて賃貸区画を増減でき、賃料も民間よりおおむね安い。景気の波の中、栗山は「この工場だから何とかやって来られた」。
再起を懸け同工場で生き抜いてきた。一方、協同組合を設けて産業団地に移転し、再生を目指す集団もあった。
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「ものづくり県」の兵庫。シリーズ「実相 被災地経済」第6部は、中小製造業者の軌跡をたどる。(敬称略)(横田良平)
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次世代経営者震災と向き合う/集団化で調達した188億円、昨春完済
大型トラックがらせん状のスロープをゆっくりと上がっていく。