中国で亡くなった母の記憶をたどり、目頭を押さえる趙維清さん(右)。娘の萍さん(左)が三和之家での暮らしを支える=尼崎市内(撮影・小林良多)
中国で亡くなった母の記憶をたどり、目頭を押さえる趙維清さん(右)。娘の萍さん(左)が三和之家での暮らしを支える=尼崎市内(撮影・小林良多)

 ラジオから日本の歌が流れると、祖母は涙を流しながら踊っていた-。三和之家の職員で残留婦人3世の趙萍(チョウピン)(56)は、幼い頃に見た情景が脳裏に焼き付いている。

 1970年代初め、中国・瀋陽。近くに住む残留婦人4~5人が趙の家に集まった。この日ばかりは、普段使わない日本語で会話に花を咲かせ、楽しそうにしていた。

 祖母の宮下友江は73年4月、日本への帰国手続きを進めるさなかに急逝した。53歳だった。

 その日のことは鮮明に覚えている。3歳だった趙は、きょうだいと家の中を走り回って遊んでいた。友江は窓のそばに座り、黙って外を眺めていた。