中国残留婦人の母との思い出を語り始めると、岡本琴子(81)=尼崎市=は言葉に詰まり、涙を拭った。「私の生命は、お母さんにもらった。感謝します。ほんま優しいお母さんだった」。琴子は中国・大連で生まれ、1991年に「残留婦人2世」として日本の地を踏んだ。
6人きょうだいの長女で、母と中国人の父のもとで育った。戦前、19歳で日本から大連に渡った母は、中国語が話せず、ほとんど家から出なかった。琴子は母に代わり、学校から帰ると買い物に行き、弟が病気になると病院へ連れて行った。
72年の日中国交正常化で、残留孤児や婦人が帰国できる可能性が生まれた。母はこの頃、日本の祖父母の写真を眺め、毎日のように泣いていた。父は日本に戻っていいと言ったが、母は首を振った。「家族がいるから、1人帰ったら申し訳ない」























