太平洋戦争中の日常を描いた映画「この世界の片隅に」の主人公・すずさんにちなみ、戦時下を生きた女性のエピソードを募る企画「#あちこちのすずさん」に、兵庫県の姫路からも体験談が寄せられた。「『戦争は絶対に駄目』と言えるうちに言っておきたい」。応募の動機をそう語る田郷和代さん(91)=姫路市=に、「これまで家族にも話したことがない」という旧満州(現中国東北部)での暮らしを聞いた。
1930年に東京で生まれ、35年ごろ、父の転勤に伴い家族で旧満州のハルビンに渡った。間もなく現地の国民学校に入学し、3年生の頃、奉天(現瀋陽)に引っ越した。女学校(中学)に入ると、学徒動員で工場にも行くようになった。
晴れた日、空を遮るもののない広大な大地は夕日で真っ赤に染まった。冬には校庭に水をまいてスケート場を作った。懐かしい満州の光景。だが同時に、恐怖におびえた日々も脳裏にこびりつく。
45年8月15日、15歳で終戦を迎えた。程なくして、奉天にも旧ソ連軍が侵攻してきた。「先頭部隊として凶暴な囚人が入ってくる」「女の人が狙われる」。そんなうわさが流れ、三つ編みできるほどの長さだった髪を切り落とした。近所にソ連兵がいると聞けば顔に墨を塗り、屋根裏や地下室で息を潜めた。
より安全な場所を求めて日本人街の中心部に移ったが、最低限のものしか持って行くことができなかった。「奪われないように」と屋根裏に隠していたバイオリンは運ぶことができず、それきりになった。学校でのクラブ活動のため、両親が買ってくれた大切な楽器だった。
満州北部では、それまで虐げられてきた現地の人々の暴動が激化。避難してきた日本人は国民学校の校舎などに身を寄せたが、やがて訪れた冬は文字通りの極寒で、体力のない赤ちゃんが次々と命を落とした。校庭は墓場となり、小さな土の山が並んだ。
◆
引き揚げの話が聞こえ始めたのは、年が明けた頃だった。友人や同級生が次々と母国へ戻る中、田郷さん一家にもようやく知らせが届いた。7月ごろだったと記憶している。「一つだけ」と決められたリュックサックには着替えを詰め、大事な写真は半紙に張って入れた。大連港近くの葫蘆島に1日かけて移動し、1カ月ほど船を待った。
ある朝起きると、米軍の上陸用舟艇が停泊していた。引き揚げる100人ほどが船底に詰められ、長崎県の佐世保港を目指した。日本の陸地が見えてくると、「山がこんなにある」と新鮮な気持ちになった。帰国を待ちわびた大人たちは甲板で飛び跳ね、手をたたいて喜んだ。
荷物や感染症検査に合格して向かったのは父の故郷・龍野市(現たつの市)。岡山の女学校に編入し、卒業後は姫路市の洋裁学校で学び、そのまま助手として就職した。結婚後も、満州で時間を共にした友人との交流は続いた。毎年神戸で集まりもあったが、高齢化で2019年が最後となった。
そんな折、新聞で「#あちこち-」の企画を知り、これまで家族にも語ったことのなかった引き揚げ体験を話してみようと心が動いた。
「想像を絶する体験は、今の人には分からないかもしれない」と田郷さん。それでも伝えたい。「何よりも命が大切だ」と。戦後76年。教訓のバトンを託す。(安藤真子)

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