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ケースワーカーとして、ベトナム人らの生活支援に携わった小林利夫さん=姫路市内
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ケースワーカーとして、ベトナム人らの生活支援に携わった小林利夫さん=姫路市内
定住促進センターで勤務した藤保君子さん。手元には“卒業生”の文集が残る=姫路市内
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定住促進センターで勤務した藤保君子さん。手元には“卒業生”の文集が残る=姫路市内
ベトナム戦争後、日本に逃れた人たちを受け入れた定住促進センター=1995年7月、姫路市仁豊野
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ベトナム戦争後、日本に逃れた人たちを受け入れた定住促進センター=1995年7月、姫路市仁豊野

 兵庫県姫路市にはベトナム戦争後、故郷から逃れた人たちを受け入れる施設がつくられた。あれから40年以上がたつ。ロシアの軍事侵攻で母国を追われたウクライナ避難民の入国が本格化し、市も受け入れ体制を整え始めた。「戦争を目の当たりにした心の傷はずっと続くだろう」。当時、難民の健康管理や生活支援に携わった市民は、平穏な暮らしを奪われたウクライナの人たちへ思いをはせる。(田中宏樹)

 1979年12月、姫路市仁豊野に日本語教育や職業あっせんを行う「定住促進センター」が開設された。日本に逃れたベトナム人やラオス人らを受け入れ、96年3月の閉所まで計2640人を社会へ送り出した。

■ベトナム人らの生活支援、小林利夫さん「文化になじめるように」

 今春、姫路市を定年退職した小林利夫さん(60)=同市飾磨区=は、センターを出たベトナム人らの生活を支えた一人だ。入庁4年目の87年に市のケースワーカーになった。職に就けず生活が苦しいベトナム人らの家庭を訪問し、生活保護の支給に向けた調査や就労支援に携わった。

 今も忘れられない家族がいる。母子3人が暮らした一家は、子どもが学校になじめず非行を繰り返し、10代前半で妊娠。母親は日本語を学ぶ意欲が弱かったという。「あの時は、言語の習得を支援する機関につなげるべきだったのかもしれない」と思い返す。

 世帯主の男性が病気を患った家族とも関わった。男性はだんだんと孤立を感じ、訪問すると片言の日本語で困り事や悩みを口にした。「相談を受ける立場として、まずは話にしっかりと耳を傾ける姿勢を大切にした」と振り返る。

 現在のウクライナ情勢では、避難民の日本での生活は長期化するとみられる。姫路市では部長級や課長級の職員でつくるチームが具体的な方策を検討する。小林さんは当時の経験を踏まえ、「自治体は避難民が日本の文化や習慣に焦らずなじめるような支援策を考えてほしい」と求める。

■定住促進センターで難民を世話、藤保君子さん「生活安定へ市民も協力」

 「戦争を目の当たりにした心の傷はずっと続くだろう」。元看護師の藤保君子さん(78)=姫路市網干区=は避難民の心情を思いやり、表情を曇らせた。

 藤保さんは90年から5年間、定住促進センターに勤務。施設に隣接した病院と連携し、体調を崩した難民を世話した。異国での生活に精神の不調を訴える人もいたが、言語が異なるため心の悩みを把握するのは難しかったという。

 「ウクライナの避難民も夜に眠れなかったり、急に起きたりするなどの不調が表れるかもしれない」と藤保さん。まずは安定した生活に向けた衣食住の支援を急ぐ必要があるとし、「自治体が打ち出す枠組みに、市民も参加していける形になれば良いと思う」と話した。

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