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事故後導入した化学薬品に強い防火衣を手にする塚原昌尚さん=姫路市飾磨区中島、飾磨消防署(撮影・大山伸一郎)
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事故後導入した化学薬品に強い防火衣を手にする塚原昌尚さん=姫路市飾磨区中島、飾磨消防署(撮影・大山伸一郎)
爆発したタンクの残骸。日本触媒姫路製造所内に保存されている(同社提供)
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爆発したタンクの残骸。日本触媒姫路製造所内に保存されている(同社提供)

 2012年9月29日に発生した日本触媒姫路製造所(兵庫県姫路市網干区興浜)の爆発事故は、翌30日午後になってようやく鎮火した。消防隊員1人が死亡し、警察官や従業員を含め計36人が負傷。焼け焦げた臭いが漂う現場には、爆発したタンクから飛び散ったアクリル酸に焼かれ、ぼろぼろになった隊員の防火衣があちこちに脱ぎ捨てられていた。

 鎮火の翌日、市消防局は、隊員の精神的ダメージの程度を測るため、事故に関わった隊員ら177人を対象に19項目の質問に答える調査を実施している。多くの隊員が「吐き気をもよおした」「一時的に時間の感覚がまひした」などの項目に当てはまると回答し、強いストレスを感じていた7人はカウンセリングが必要と判断された。

 「そのまま放置すれば、PTSD(心的外傷後ストレス障害)やうつ病に発展する可能性もあった」。事故後、原因究明や再発防止を担当したのが飾磨消防署の塚原昌尚署長(60)だ。

 塚原さんは事故当日、市防災センターの消防本部で情報収集に当たっていた。隊員が爆発に巻き込まれ、現場から報告が入るたびに負傷者が増えていった。事故後、現場にいなかった塚原さんも時折、理由もなく不安な気持ちになった。

 事故から2カ月後の調査では自由記述も用意した。

 「もっと異なる方法があったのではと、心の中で繰り返す日々です」

 「別の行動を選択していれば、これほどの大惨事にならなかったのでは(中略)非常に悲しく、対応を後悔しています」

 多くの隊員が自分を責める言葉で用紙を埋めた。

 「姫路製造所に近づくと事故の記憶がフラッシュバックする」「防火衣が信用できず、出動に拒否反応がある」-。日常業務に影響が出る隊員も続出した。

 市消防局では情報共有が不足した教訓を生かし、16年に現場をふかんして消火活動を指示する「指揮隊」を創設した。装備面でも隊員の安全を意識し、地面に固定した状態で放水する「無人放水銃」や化学薬品に強い新型防火衣などを次々と採用。一連の改善には隊員の「心のケア」の側面が大きかった。

 事故で犠牲になった山本永浩さん=当時(28)=は、塚原さんが県消防学校教官時代の教え子だった。常に小さなメモ帳を持ち歩き、教官や先輩の言葉を小まめに記していた姿が印象に残っている。

 「山本隊員の殉職を思うとつらい。安全対策に全力を尽くすことで自分の心を守る、という面もあった」と塚原さんは語る。

 10年がたち、市消防局でも事故を知らない隊員が増えてきた。爆発の記憶の継承はこれからも続く。(森下陽介)

【バックナンバー】
【上】右耳失った消防隊員 「もう二度と」教訓語り継ぐ

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