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東日本大震災の津波被害などを伝える地方紙の切り抜きを並べる、養護教諭の中玉利展子さん=高浜小学校
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東日本大震災の津波被害などを伝える地方紙の切り抜きを並べる、養護教諭の中玉利展子さん=高浜小学校

 11日で東日本大震災から12年となるのに合わせ、姫路市立高浜小学校(兵庫県姫路市飾磨区阿成鹿古)の校舎1階に、津波被害や復興の足取りを伝える東北の地方紙の切り抜きが展示されている。手がけたのは、被災地の高校で、津波により家族を亡くした生徒らをケアした経験を持つ同小養護教諭、中玉利(なかたまり)展子さん(58)。「話を聞くことしかできなかったが、教訓を生かすための種をまき続けたい」と、防災教育に力を注ぐ。

 中玉利さんは、震災から4カ月後、宮城県女川町の女川高校(2014年閉校)に派遣され、約9カ月間、心の傷を負った生徒を支えた。

 11年3月の発生直後からテレビから目が離せなくなり、自分に何ができるか問い続けた。被災地への長期派遣の募集に手を挙げ、津波で壊滅的な被害を受けた同町に7月から、夫とともに赴いた。

 「4カ月がたっても、家はつぶれたままでがれきは山積み。『自分に何ができるの』って無力感にさいなまれた」と当時を振り返る。女川高校の校内でも、心がささくれ立った生徒同士のいざこざが絶えず、教員間でも家族を亡くすなどした被災経験を打ち明けられずにいたという。

 持ち前の明るさで生徒に語りかけ、話を聞き続けた。「関西弁の先生がいる」と校内で話題になり、ぽつり、ぽつりと胸の内を明かしてくれるようになった。家族や友人が犠牲になり、自責の念にとらわれ続ける生徒に「あなたのせいじゃないよ」と言い聞かせた。

 原体験は、阪神・淡路大震災で避難所になった神戸市長田区の小学校に支援に行った経験だ。被災者であふれた体育館。職員室の電話は鳴りやまず、教職員が走り回っていた。災害対応の最前線で、自分も役に立てるようになりたかった。07年から県教育委員会の震災・学校支援チーム「EARTH(アース)」に参加。その後も、09年の兵庫県西・北部豪雨で被災した佐用町でボランティアをするなどしたという。

 東北の被災地での活動を終え、中玉利さんは12年4月に姫路の学校現場に復帰したが、その後も東北との関わりを持ち続けている。在校生の卒業や閉校を見送り、被災地で知り合った教職員の勤務校の生徒と、自校の児童との交流も企画。復興の足取りを、写真や手紙を掲示して子どもたちに伝えてきた。

 勤務校で数年に1度、12年前に集めた地方紙の切り抜きを保健室の近くに並べており、今年も高浜小で実施した。9日から約1週間、給食の時間の放送で、研修で東北に行った若手教員との対談を流したり、子どもがつづった被災経験を読み上げたりしている。

 「今の6年生が0歳の時に起きた震災。災害教育としてまいているこの小さな種が、南海トラフ巨大地震や山崎断層地震が起きた時、彼ら自身を守ってくれるはず」と信じている。

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