史上初の最大震度7を観測し、6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は来年1月17日で30年。あの日、このまちで何があったのか? 災害から命を守るためにできることは? 神戸新聞社は1日、新たなウェブサイト「1・17つなぐプロジェクト」を開設しました。震災後に生まれた子どもや若者のみなさんと一緒に震災を学び、記憶を「つなぐ」新サイト。学校や家庭でご活用ください。(中島摩子)

「1.17つなぐプロジェクト」はこちら

■「震災を語る」遺族らの言葉を動画で

 震災でかけがえのない家族を失ったり、救助活動に奔走したりした人たちが経験や思いを語ります。いずれも10分程度の動画です。

 兵庫県佐用町の上野政志さん(76)は、大学2年の長女を亡くしました。娘が生前に作った絵本を手に命の大切さを伝えます。

 震災当時、小学1年生で弟2人を失った柴田大輔さん(36)は現在、地域の消防団で活動中。その決意を述べます。

 淡路市の北淡震災記念公園の総支配人、米山正幸さん(58)は生き埋めの住民を助け出した30年前の教訓を話します。

■「当時の新聞」激震一報の1面は

 神戸新聞社は、阪神・淡路大震災で当時JR三ノ宮駅前にあった社屋が全壊し、新聞発行の危機に直面しましたが、京都新聞社の協力を得て、休まず発行を続けることができました。

 「近畿で大地震」と、激震の一報を伝えた1月17日付夕刊はわずか4ページ。同日夜になって避難所に配られ、被災者たちの間で回し読みされました。

 新サイトではそのほか、「兵庫烈震 死者1300人」の見出しの18日付朝刊、同日付夕刊-の1面を公開します。地震前に編集し、政局がトップニュースの17日付朝刊も見られます。

■「あの日のこどもインタビュー」

 30年前の子どもたちは震度7の揺れや、変わり果てたまちの様子をどう受け止めたのでしょう。

 3歳の時、倒壊家屋の下敷きになり、母を失った中埜翔太さん(32)は祖母に育てられ、遺児支援施設に通いました。当時4歳の千代田健志さん(33)も母と姉が亡くなり、長崎県の五島列島で子ども時代を過ごしました。小学2年だった岸本くるみさん(37)は、救援物資の鉛筆を今も大切にしているそうです。

 大人とは異なる「目線」「心」「30年」。かつての子どもたちへのインタビューが読めます。

■被災後の写真を毎日更新、学習活用にデータも

 子どもたちが震災について調べることができるコンテンツもあります。

 「データでみる 阪神・淡路大震災」は、兵庫県をはじめとする各地の震度や死者・負傷者数、被害総額などを掲載しています。

 「年表でたどる 阪神・淡路大震災」は、1995年以降に被災地と国内外で起きた主なニュースを1年ごとに整理しています。

 現在、朝刊で連載している「365日震災ダイアリー」も新サイトで見られます。地震発生日から365日間(95年1月17日~96年1月16日)の写真を毎日、紹介しています。

■読者の震災体験談を紹介

 「わたしたちと震災」は震災の体験談などを募り、紹介するコーナー。まずは「子どもと震災」をテーマに今春実施したアンケートから、あのとき「つらかったこと」や「心や体の変調」など、一人一人のリアルな声を掲載しています。

 震災体験者から直接話を聞く「こども震災学校」も始めました。サイトでは、4月に行った第1回の様子をリポート。第2回(8月3日)の参加者も募集しています。

 ほか、若手記者のコラムやサンテレビの貴重な記録映像のコーナーも。内容は随時更新していきます。

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